『好き嫌い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あなたのその
優しいところが好き
厳しいところが嫌い
好き嫌いするなって
あなたは言うだろうけど
部屋中に
花を飾る
心
ひらひら
蝶々の気分
☆ 気分転換の特効薬 (500)
好き嫌い
ヤンキー、輩。金髪、タトゥー、たばこ
8で囲っているナンバー、車高が低い車
関わりたくない、嫌い
物質的に飽和している現代においては、好き嫌いは悪いことではない。
ねるねるねるねだって、練りすぎれば色が変わらなくなってしまう。
すべての色を同時に実現することは、論理的には可能でも、実際は不可能なのだ。
食べ物のはなし
昭和の子供のように好き嫌いを強制される事はなくなったらしい
嫌いならば食べなければいい教育が今の常識
それはそれで理にかなってると思う
子供の味覚や感覚は敏感
生理的に受け付けない物を無理に食べさせるのは精神衛生上よくない
栄養学の面から言っても体に必要な物も量も子供は自分の感覚で判断が出来るらしい
あの手この手で苦労させて嫌々食べさせる大人も大変なのだから
子供が好きな物だけ与えていればそれでいいのかもしれない
但しこれは子供が求めた時にその物が与えられる恵まれた環境に限る話しで、精神面と経済面が足りていない保護者の元では深刻な栄養不足に陥るので十分な管理の上での話しになる
好きなものだけを受け入れて生きる生き方もある
たかが100年に満たない人生なのだからそれも正解なのかもしれない
ただある程度の時間を生きると気付く
嫌いを克服した先に楽しみや喜びがあるのだなと
他人様が善意でくれるものをただ嫌いだからと断るとそこには何も生まれない
沢山のものを味わい深く楽しめるようになると面白いように視野が広がる
大人になり愚鈍になったからこそ受け入れられる嫌いもある
年々と鈍くなるのがまた良い場合もあるなと思う
No.4【好き嫌い】
野菜の好き嫌い無くしたいな
好き嫌いがある。
人それぞれ何かある
嫌なことを無くすことはできないけど
大切な人に幸せになってほしいのは本当。
皆幸せになればいいな〜って思っている人もいるかも
間違いなんてない、はず。
自分の道を突き進んでね
#好き嫌い
花占い、嫌いで終わるなら、茎を最後に好きで終わらす。
嫌い!!ってことは、好きだったということ...?
もしくは、好きに変わるかもしれない?
好き嫌いって、白黒つかないところがありそうだ。
幼い頃は、嫌いなものがとことん嫌いだった。
絵本の嫌いな登場人物に歯型を残すくらい、噛みついていた。しかもそれが、主人公以外全部?ってくらいの絵本もあったような(笑
好き嫌いを感じさせてくれる何か
こころみたいな
好き嫌い
野菜が苦手とか。魚が苦手とか。
甘いものが苦手とか。
嫌いな食べ物の事を、
『好き嫌い』と言います。
『好き嫌い』という言葉の中には、
『好き』という単語と、
『嫌い』という単語の、
両方が入っているのに。
『好き嫌いはある?』と問われると、
何故か、皆さん、
嫌いな食べ物の話だけをして、
好きな食べ物の事は、言いません。
『嫌い』と言う時より、
『好き』と言う時の方が、
幸せだと思うのですが。
人間とは不思議な生き物です。
でも。
『好き嫌い』が出来ることは、
幸せな事だとも、思います。
何故なら、
食べ物に困っていないから、
食べ物を選り好み出来るのですよね。
ほら。
嘗ての私のように、酷く貧しければ、
好き嫌いも言えず、
ゴミの中の残飯を漁り、
毒の無い野の草や草の根を齧って、
飢えを凌ぐしか、無いのですから…。
好き、嫌い、好き、嫌い、好き、、、
嫌い
彼女は最後の花弁を散らせてそう言った
好き!
彼女は手に持っていた花弁以外の花を地面へ捨ててそう言った
好き嫌い激しいね、笑
でも好き嫌いがはっきりしてるからわかりやすくて好きだよ笑
好き嫌い
表面では割と合わせているようで
性格的には極端で
100か0か
黒か白か
なのである
これもそうで
割とハッキリしている
それでいいやと思ってきた
でも君が
グレーゾーンがあることを
曖昧な部分があってもいいことを
教えてくれた
少し楽になった気がした
確かに甘いはずなのに
飲み込むときに棘がある
甘いだけでもいいのにね
でもその棘も心地いいから困ったものだよ
どちらにせよ手を伸ばして口に含んでしまうんだ
まあ、もとより私は好き嫌いはしない質だがね
さて
君はどっちかな
“好き嫌い”
世界は好きさ
周りが嫌いなだけ
世界が変わると面白いことが起きる!
周りが変わると気を使わないといけなくなる
好きさ
嫌いだね
「ねぇねぇあのVTuberコラボするんだって!」
「仕様書また変わんのかよ、クソダリィな」
見えてるものなんてこんなもの
嫌い嫌い、だけど、
このクソッタレな世界が好きさ。
好き嫌い
文章を書くことは30代の後半を過ぎた頃から好きになった。
それ以前は仕事上こなさなければならないから、嫌々書いていた。
なぜ文章を書くことが好きになったのか考えてみる。
きっかけはやはり読書を始めたことだろうか。
年間100冊は読むようになってから、言葉がスラスラと出てくるようになった。
文章を書くのがますます好きになったのはこのアプリケーションの影響も大きい。
匿名で気楽に投稿でき、また読みたいと反応がもらえると気分が高揚する。
僕の「文章を書くことが好き」は色々な人に支えられて成り立っているのだと思う。
優しく受け泊めてくれる所が好き
優しい声が好き
優しく頭を撫でてくれる手が好き
優しく頭を撫でてくれるのが好き
優しいフリでも優しくしてくれる所が好き
でも
私を見てくれないところが嫌い
私を好きでいてくれないところが嫌い
私を依存させて自分はしないところが嫌い
私を突き放すような事をするのが嫌い
私を困らせる所が嫌い
あなたが好きで嫌い
夏は嫌いだけど、好きでもあるんだ。
暑いし、虫も出るし、嫌なことばっかりなのに
海が綺麗に見えるから、好きなんだ。
『 好き嫌い 』
「すき、きらい、すき、きらい、すき、きらい、すき、
きらい、すき、すき、すき、すき、すき、っと。」
またこいつ変なことしとる。花占い懐かしいし。
てかめっちゃずるしとる。
「お前、ずるにも程があるやろ。」
「なんのこと?」
しらこいな、とぼけるつもりや。
「そんなん好きにしかならんやん、虚しくないん?」
「えー?だって好きでしょ?」
「何がや。」
「私のこと、好きでしょ?」
こいつ何変なこと言うてるん。びっくりしたわ。
誰がお前なんかのこと好きかいな。お前なんか別に、
「好きや。」
「ふふ、知ってる。」
人間には好き嫌いがあるだろう。だが、そもそも「好き」や「嫌い」という感情は実際の所何を表しているのだろうか?
感情ほど明確に定義付けができないものはないように思える。実際の好き嫌いを言うことでしかその実態はつかめない。
私の好きは……やはり彼女だ。名前を言うことは憚られる。名前を呼ぶにはあまりにも崇高すぎて、心の中に留めておくのが一番身近に感じられる。
私の嫌いは……嫌いという感情はとっさに現れては消えていく存在だ。明確にこれが嫌いというものはない。感情は刹那的で、嵐のように私の中で暴れまわり、私の全てを支配したかと思えばいつの間にか過ぎ去っている。こんなものについて何を語ることがあるというのだらう?
面白いもの
楽しいものが大好き
面白くないもの
楽しくないことが嫌い
これに尽きる