『友情』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
友情 詩
友情
固い絆で結ばれた
決して切れる事はない友情
友情
楽しい時は一緒に笑い合い
悲しい時は一緒に悲しむ事ができる
友情
隣りに居るだけで
一緒に過ごすだけで楽しいと思える
友情
それは何にも代えられない
大切な宝物
友情
俺は、荼毘(轟燈矢)と
トガヒミコの許しを通して2人でお出掛けしたのだ
『敵連合は、やることが多いぜ。今日は、休憩しようぜ?リーダー』
『あぁ…』
トガヒミコは、変身の個性を持っている。今、オレ
死柄木弔(志村転孤)は、トガから渡された服装を着ている。
結構、目立つ派手な服装だが、他人に気にされない
そして、黒いサングラスをトガから渡されて
荼毘もかけている。
『おい、燈矢、目立つじゃねーか………』
『俺は、ファッションに敏感なんでね』
『おっ、彼処に小さな喫茶店があるぜ?』
『寄ってくか』
オレ、荼毘(燈矢)は、弔(転孤)の手を引いて
歩き出した。何年振りなんだ?この感覚
敵連合に所属している為、そう遊ぶことはないのだ。
20歳と24歳
(ふ……落ち着くな。これが友情なのか?)
友達?
友達は、モンちゃんだ。
〜ちょー楽しかったんだよ〜
〜友達ってなんだ?〜
〜友情ってなんだ?〜
友情
今を呪えど妬まれても碌でもなくても腹は減る
ビジネスライクなんでってお互い笑ってたのに
行動がそいつの正体
比べる必要がないのって本当に楽
傷つけてくる人間が多かったので蹴落としあいする必要のない人間はとっても重要
友情
突然の連絡にいつもと変わらない声で応えてくれるのがどれほど嬉しかったか、君はきっと知らない。
日々家
お題「友情」(雑記・途中投稿)
友情……何だろ。
大学生時代の友人達とはずっと遊んでいるけど、社会人になってからは全然友達とかできていないなぁ。
友達が欲しくて同性の友達を探せるアプリを使った事があるけど、同じマルチ商法やっている人ばっかりなのが嫌になって辞めた。しつこく勧誘されたわけじゃないけど、すっごい嫌悪感ある。
洗剤とか匂いするの嫌いだから無香料しか使わない。初めて一人暮らしする時に「完全脱臭」を名乗るからレノアを買ったら匂いがすごくて、せっかくの脱臭後に変な匂いつけたら意味ないじゃんと思った。辛うじて一本使い切ってからはファーファだったかな。その後は洗剤と同じアドグッドだけ。ほとんどどこにも売っていないから、諦めて通販で十五袋ぐらいまとめ買いしている。
友情の話に戻る。
同じく友達が欲しくて現住所周辺のオープンチャットに参加して、ちょくちょくオフ会にも行っている。
相変わらず人の顔が覚えられないのが難点……。何人かはLINE交換したけど、友人かと言われると違うと思う。
食べる系が多いのがつらい。イベントとか行きたい。とか言いつつ花火は遠くて諦めた。
別の花火もあるんだけど、死ぬ程混むから嫌……。(現住所周辺の神社のお祭りのオマケで開催している「はず」の花火大会。神社から見えないんだから辞めたら?)
仕事で長期出張に行かされた時は、同じ職場の人が車を出してくれて二回ぐらい遊びに連れて行ってもらったけども。
なぜか誘われなくなってそのまま。何かやらかしたのかと悩んでいたらただの体調不良だった時もあったけど。(人を誘う勇気など持ち合わせていない)
そういえば前の会社の最初の派遣先で知り合った同年代の人とそこそこ仲良くなって、三人で派遣されたのに最終日は色々あって私しかいなかったからこれ幸いとお昼ご飯に誘って、夕ご飯も一緒に食べに行ったな。
派遣元も派遣先もロクでもない会社だったけど、その人とはそれなり仲良かった。同期が辞めた時に一度連絡取ったけど、派遣終了後は一度も会っていない。割と遠いしね……。
友人か? と言われるとやっぱり微妙。
女友達が欲しい!
友情とは…検索…友人の間の情愛。
私は、友人と呼べるアンドロイドや人間はいない。
これから、友人と呼べる者が現れるのかな…?
情愛がアンドロイドの私にあるのかな…。
これから、私はどうなるのかな…。
“友情”ってなんだろ。
いつかは壊れるのにね、本気になっちゃって。
貴方がいないと不安になる。
これって私が貴方を“親友”として信じているからだよね。
友情とはなにか。あまりよく分からない。嬉しいこともあるけど喧嘩もするし嫌なことはあるし結局利用されたりもするそれが本当の友人かと言われれば分からない。分からないから友達でいられるのかもしれない。
それはかつてどこかで嘲笑った友情だった。
友情や絆なんて上辺だけの綺麗事でしかなくて、
脆くて、
儚くて、
消えやすいもの。
そう心のなかで嘲笑ったはずだった。
なのに、なのに。
…ああ、そういうこと。
友情とか絆って、
脆くて消えやすくて消えやすいものだけど、
乗っかってしまえばそれは
暖かくて、
くすぐったくて
毎日に色を落としていくもの。
すべてが全て上辺だけの綺麗事ではないと知った。
それはかつてどこかで嘲笑った友情だった。
─友情─ #12
友情ってやつは
なんで
儚いの
今を濃厚にする
友情は
儚くて尊い
はじめてこの人にあげたいと思った。
そのくらい大好きな人。
ふたりだけの美しい友情が、また一からスタートできたらな、と願っていたところだった。
私の中で、救けてくれないヒーローは嫌なものだった。
けど私がする"ヴィラン活動"はきみを救けるんだって、気づいて。
きみは私とちゃんと向き合って、一緒に恋バナしようと言ってくれた。
涙が出たの。
自分が引き換えにきみが生きられるなら別によかった。大好きだったから。
死ぬのが怖かったのかな。今まで散々人を刺したのに。
そんなことより、きみに"私"をあげたくて。
"我"を"渡"すから、ちゃんと生きてね。
きみのことが大好きで大好きで大好きでたまらないから。
今からする事は世間に認められなくていい。私のヒーローのために、ヒーローでいさせて。
世界一カァイイ私で隣にいたいと思うの。
#2024.7.24.「友情」
世界一美しい友情。hrak。
ネタバレ食らったけど綺麗すぎて涙ぼろぼろになったのでオッケーです(?)
ネタバレはやんわりとだったので間違ってたら申し訳ない。
アニメ版炎氷兄弟の戦いと同じくらい(というか多分それを上回って)好きだ。
友情
裏切った
そう見える君との想い出が
ホンモノだとしか思えないから
苦しいんだ
___________
人は勝手に期待して、勝手に裏切ったと思う生き物だから、裏切ることは人間の仕事の1つだと言ったのは誰だったか。
そんな言葉で慰めながら、どうせなら、いい方向に裏切った想い出が欲しかったと過去に呟く。でも、先にあなたを裏切ったのは、知らないだけで私の方かもしれないものね。
「ある」と思っていたのは私だけで
たぶん 最初から
そこにはなかったんだ
貴方が持っていた[好き]を
私は都合よく解釈して
【友情】なんだと決めつけた
あぁだけど
[愛]でも[友]でも
柔らかくて温かい それ は
手放したくない、確かな[情]だ
壊れそうで壊れなくて
壊れないと思えば壊れたり
思わぬところから そう泡沫のように
──友情
友情
嬉しいときには喜ぶ
悲しいときには話を聞く
寂しいときには一緒にいる
なんでもないときでも。
(友情。)🦜
あのね。
すずめ、・・にも、
友情は
有るんだよ。🦜
(以前の事
だけどね。)
「羽根を
怪我した、
僕の、友達が、
・カラスに
虐められて
居たんだだよ。」🦜
(でも、雀は
カラスに、
勝て無い。)
・だから
一生懸命に・・。🦜
《いつもの
優しい
おじさん。の所に
飛んで、
行って。》
✣カラスを
懲らしめて
もらったんだよ。🦜
大学を卒業してから、三十年以上会っていない友達の訃報を聞いた。
偶然、共通の友人だった人と再会した折に。
少し神妙に、そっか、知らなかったな、と返したものの、特別な感情は湧かなかった。
確か、仲良かったんだけどな。
大学時代、お互いの彼女を連れて、四人で遊んだっけな。
サザンが好きで、湘南に憧れて、中古で買ったポンコツ車で、江の島までドライブした。
帰りのガソリン代が危うくなって、なけなしの1000円分給油して、何とかギリギリで家に辿り着いた。
今はもう、満タン給油が当たり前。
飲み会の後は帰りたくなくて、ガードレールに座って朝まで話し続けた。
話した内容なんか覚えていない。
きっと、今の自分にはどうでもいいこと。
でも、あの頃の自分達にとっては、熱量ハンパない話題だったんだろうな。
俺が彼女にフラれた時は、夜通し男二人でカラオケで歌った。
サザンばっかりだった。
いとしのエリーとか歌っても、歌が下手すぎて何の感情移入も出来なかった。
でも、しんみりすることもなくて、それが逆に良かったんだよな。
ほら、たいした思い出もない。
あいつの顔だって、ぼんやりとしか覚えていない。
だから、そっか、で済ませたんだろうな。
夜、昔の写真を引っ張り出して、あいつの顔を見つけた。
何故だか分からないが、とめどなく涙があふれ出した。
年をとるにつれて友人と呼べる人の数は少なくなっていった。環境の変化だったり、価値観の変化だったり、原因はいろいろあると思う。そんななかでふと、考える。友情って何だろうと。
かつて、私のことを「かわいそう」と哀れむ人がいた。家庭の事情、病気や手術の事を踏まえた上で。いやいや、私からしたら「何が?」である。今、自分に置かれた状況は重重承知の上。今の自分を不幸だなんて思わない。むしろ、今の方が過去よりはるかに幸せだ。かわいそうかどうかは赤の他人が決めることじゃない、私が決めること。
となると、本当の友情ってやつは極めて少ないなとつくづく思う。痛感。まさにこれ。
友情は人の出会い方によって価値観が変わるものだ。例えば、好きな趣味や困難な問題などを一緒にできる友達がいれば、友情は大切だと思うだろう。しかし、そういった友達がいなかったり、誰かに裏切られたりしたら、友情は大切なものではないと思ってしまう。世間一般的には、「友情」をテーマにした作品や物語は、だいたい友情の大切さを物語ることが一般的で、友情が大切じゃない、なんていう作品は私は見たことがない。だけれども、世の中には友情が大切ではないような体験をした人がいるはずだ。そのため、このような友情の大切さの個人の価値観と世間一般の価値観の、いわゆる誤差を感じ、人の友情に対する価値観の決定に関してさらに不思議に感じた。
大切な友がいる
自分の半分じゃないかと思うぐらい
悲しみや喜びを一緒に感じ
悲しみは半分
喜びは2倍
もう何年も逢えてあえないし逢える気もしない
だけどいつもいつも存在を感じ
感謝している
ありがとう