『刹那』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
大変なる後づけではあるが、刹那は0.013秒くらいに当たるらしい。
小説家に“刹那”を多用する者が居た。確かに使い勝手のいい言葉で、語感も羅列も類義語である瞬時、寸陰とは一線を画す(須臾とは僅差だろうが)。
そんな彼が冒頭の事実を知った。
「0.013秒……」
小説家は手広くジャンルをつまんでいた。しかし、そのどの小説にも刹那はあった。
彼と目が合う刹那、建物が崩落する刹那、静寂の刹那……。
全て0.013秒で起こっていたことであったのだ。
たった1刹那で恋に落ちられるとは到底思えない。動体視力が良すぎるのだ。か細いヒロインが持って良いキャラ付けではない。
建物の崩壊が1刹那で行われるときは珍獣か何かが上から懸命に全体重をかけるしか無いだろう。それでも1刹那で完了するか怪しい。しかも総じて怪獣小説になってしまう。
1刹那の静寂を静寂と捉えるのは心配性の域を超えた神経の狂い方である。
しかし小説家は未だに刹那を使う。
彼の理論では体感の「話なんです。恋に落ちる瞬間は実際刹那的でもあるし、ある人にとっては劫でもある。建物の崩壊という衝撃はきっと刹那的に脳裏に焼き付き、センセーショナルな短編のような忘れられない物語になる。刹那の静寂は当人の願望の表れでもあるでしょうしね」
言い訳がましい彼の人気は初出版から落ち込み続けた。彼の理論を通すならば、世間からの彼の印象は刹那的人気であった人というわけである。
【刹那】
テスト頑張りたいので投稿の頻度か質が落ちます。てか現に落ちてます。
刹那は右手が疼いていた頃によく使っていたのが恥ずかしくてあんまり使えません。
退屈な授業。睡魔が襲う午後。
下敷きを挟んだ白紙の帳面。
目を移す。
鳥の群れ。目を焼く日差し。
今しがた引かれた飛行機雲。
刹那、大きな影。
窓の向こうと目が合った。
鈍い音と甲高い悲鳴が耳の奥を支配する。
不快感と非日常な空気が教室を包み込んだ。
悩み事ーーーーー。
最近ですね、学校でお友達が出来たんですね。
その子は最近引っ越してきた転校生らしくて、学校の事とか沢山聞いてきて、沢山話してました。
新しい友達「職員室遠くない!?」
俺「俺も最初めっっっちゃそれ思ってた笑」
何かめっちゃ話しやすい子なんですよ。
だけど、まさかのその子は大分重度のメンヘラらしくて、友達にも嫉妬をしてしまう程らしい。
それを知った頃には俺はその子に懐かれてました。
俺「何でそんなにくっついてくんの?」
新しい友達「んー?俺と一緒に居てほしいから?」
などと言っていましたね。
たまに後輩とか友達とかと話してると、やっぱり後々メンヘラが発動してました。
新しい友達「さっき話してた人は誰?友達?」
俺「?…そうだけど。」
若干圧ある。
LINEも交換をしてしまったし、取り敢えずあまり近づきすぎないようにと友達にも言われてます。
題 刹那
私はたかしが嫌いだった。
だっていつも意地悪ばかり言う。
全然優しくない。
小学校からそうだ。何を言っても否定されるし、うるさいって二言目には言われる。
私とたかしは犬猿の仲だって周りには言われてた。
それなのに、中学、高校と一緒になってしまったのは、なんの因果なのか・・・。
だけど、高校になった今、私もたかしももう小学生みたいないがみ合いはない。
お互いに、無関心だ。
ほぼ関わらない。私達が同じ中学高校だと知らない人に、その事実を伝えれば、ほぼ100%びっくりされるだろう。
私も別に今更関係を改善したいとも思わないし。
そんなある日、男女混合の球技大会が行事で開催された。
前日眠りが浅くてあまり寝てなかった私は朝から体調が悪かった。
もともと低血圧気味でふらふらしがちなんだ。
友人が私の体調を心配してくれるのを、大丈夫と笑顔で強がって、球技大会の試合に参加する。
男女混合の同じチームにはたかしがいた。
でも、私達はもちろん無視。
ただのクラスメートよりも関係値悪い気がする。
ともあれ、試合は始まり、私はふらふらとバレーボールの球を一生懸命目で追う。
でも、もう足がもたついて何が何だかわからなくなってきていた。
あ、もうこれ倒れるな・・・。
と思って倒れ込んだ刹那、誰かに抱きかかえられた。
「先生!夏木が倒れたので保健室連れていきます」
「あ、ああ、頼む・・・」
試合が中断され、補欠を呼ぶ声を後に、私はふわっという感覚共に、間近にたかしの顔を見ていた。
どうして・・・。
関わりたくなかったんじゃないの?
何で・・・。
私が物問いたげにたかしを見ていると、たかしは視線を落とした。
「大丈夫か?」
「あ、うん、ありがと・・・」
私は弱々しい声でお礼をいう。
「気にすんな。無理するなよな」
・・・これって本当にたかしなの?
別人みたい。
「小学校の時と全然態度違う・・・」
私が思わず声に出すと、たかしは困ったような顔をした。
「悪い、俺も子供だったから。反省してるよ」
「そっか・・・」
何となく後に続く言葉が思いつかなくて黙ってしまう。
「じゃあ、これからは普通に話そうよ」
私はたかしに言葉を続ける。
本当は小学校から、ずっとそうしたかった。
だってもともとたかしのこと嫌いじゃなかった。
「そうだな」
たかしは見たことのないような顔を私に向けた。
その優しい眼差しに落ち着かない気持ちになる。
それでも、嬉しい気持ちの方がずっと強くて・・・。私はフッと軽く目を閉じて、今後はたかしと良い友人になれればいいなと心から願っていた。
刹那と言えば、夕暮れ時の空の色が思い浮かぶ。刻一刻と移り変わって、気付けば街の光が灯りだしてる。
そんな儚い時間帯がけっこう好きだったりする。
極めて短い時間。
すなわち一瞬で終わってしまう時間は
"刹那"と呼ばれる
それは儚くて急いたもののように感じてしまうかもしれない
だけどそれは
私達が見ているより、もっと根強いものだと思う
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「ペンは剣よりも強し」
という言葉を知った。
この世界では剣よりも危険なモノが
100円程度で合法的に売られているらしい。
しかも色とりどりである。
刹那、私の脳裏に世紀末な世界が浮かんだ。
ヒャッハー!
刹那
自分では思ってもなかった瞬間が来た時、又はあった時の事のように思う
幸せの後に思い返した時を指すようにも思う
刹那とは…それはいったいどういう事か、考えた事も無い
調べたところで、ストンとはならないなぁ
作者の自我コーナー番外編
多幸感なんて言ってはみるけど、やっぱり美味しいご飯を食べてる時が一番幸せだと思う。みんなで食べるもいいけど、
一人で噛み締めて味わうのも好きだ。
和食を食べているとどこぞの古本屋よろしく『日本人で良かったよ〜!!』と叫びたくなる。
そしてこうも思う。大口開けて食らいたいと。
胃が弱くなってしまったので実際バクバクとがっついてしまうとあとが大変なのだが、つい癖でスプーンに山盛り一杯のカレーを頬張ってしまうし、茶碗のご飯を掻き込んでしまう。
きっと美味しいと感じる食べ方があるのだと思う。ちまちまお上品に食べるより行儀が悪くても口いっぱいに頬張りたい。口の中を美味しさで満たしたい。いっぱいにした分、胃に入る量もいっぱいなのでかなり消化には影響があるが、それも厭わない。悦楽を文字通り味わいたいのだ。
たとえそれが刹那的だとしても。
『刹那的快楽主義者』
お目汚し失礼しました
普通だと思ってた
自分が間違えたから母親が怒られて、殴られて、謝るのが普通だと思っていた
幼い頃からみんなと普通がずれていったことに気づかないまま大人になった
檻の中にいたせいで自分の思いを伝えられない
正解を見つけるのに精一杯だったせいで考えを素直に言えない
機嫌をとることばかり考えて自由に生きられない
全部お前のせいだ
僕の人生壊したのはお前だ
お前させいなければ、僕だって普通だったのに。
どうすればいいのかわからない
僕が誰なのかわからない
全部をお前のせいにしたかった
お前のせいにばかりしていたら子供のまま大人になってしまったのは分かっていた
全部を捨てたい!このまま終わってしまいたい!
死ねばいい!お前も僕も!地獄の果てまで追いやってやる、死ぬので済むんだから有り難く思えよ!3回分の人生壊しといて!生きていられるだけで幸せだって心に刻めよ!
人間不信になって、もう、一生幸せになんかなる気もない、結局さ、死ぬんだからさ、ちょっとくらい早まっても良くない、?
お題「殺那」
久しぶりにやってみたら、なんやこの漢字!
意味わからん、なんで読むねん!
このぉぉー
物心ついた時から一緒にいる幼馴染のアイツ。
俺の思い出の視界の中には必ずアイツがいる。
それが当たり前だった。
瞬きをした、刹那の間に。
アイツはどこかへ消えてしまった。
刹那
「俺達がガンダムだ!!」…冗談です。わかる人にしかわからないですね、はい。出オチですね、はい。
…まじめに行こう。
刹那。もともとは仏教の中の言葉だ。瞬間よりも短い、とても短い時間だと。
個人的な感覚では、刹那というのは「内なる時間」に類するもののように感じる。自分の外で測られる「同意された時間尺度(つまり時計の動きに即した)」ではなくて、自分の内側、「意識の領域」に近いところに「刹那がある」感じがするのだ。“指をはじいて鳴らす音の間に60もの刹那がある”のが、意識領域で扱う情報量のことを指すなら、すんなり腑に落ちる気がする。
以前、ある者と時計時間で20分間、対話した。双方とも言葉の中に含む情報密度の非常に高い対話で、私は「きちんと記憶する」ために、対話内容を脳知覚に合わせて再展開し、自分の内側の、樹状のような「知のシステム」に組み上げていった。その作業に5日間を費やした。20分間の対話をシステム整理するのに5日間だ。
意識領域に時間などないが、動きはある。…と、大師たちは言う。また、「情報」は「マテリアル」であるとも。色即是空 空即是色と量子物理とは同じ本質を指差すようになった。意識領域の「経過感覚」を示そうとするのに、「刹那」という表現が最大のものだったかもしれない。「時間」でも「動き」でも、その内側に「流れ」を包蔵する。
現実は意識に伴って明滅する、とも聞く。あまりに速く細かで、その明滅は人間の脳知覚で捉えることができないと。その「刹那」は、1秒の10マイナス6乗あたりなのかも知れない。
いずれにしても、日々使っている「チクタクな時計」では、「刹那」は測れなさそうだ。
社会、仕事、人間、お金
生きて行くことを難しくするもの。
毎日戦いに向かう気持ちで
会社までの道のりを歩く。
がんばれ、
がんばれ、わたし。
自分を奮い立たせて、励まして、
帰る頃にはぐったりしてる。
みんなそうだよね。
他人を褒める、認める余裕なんてない。
心には善人の自分と意地悪な自分がいて
いつも少しだけ善人の自分が勝つことで
なんとか耐えている。
毎日毎日、自分の事でいっぱいいっぱい。
この殺伐とした世界で今日も生き抜いた。
今日もちゃんと生き抜けた。
おやすみなさい。
「生きる意味」と「刹那」
死期を迎える
それは如何なる者にも訪れる
死を迎えることは必然的かつ不自然と成す
己の全てを知り <現世>を生きなさいと云う
経を唱えれば良いと
全てを見通すことなど可能なのだろうか?
自らを織るのは 己自身
今なお 背負っている<モノ>も
いつかは━確かなる証━
いつかは━確かなる実り━
生きる意味が無い者
生きる目的が無い者
如何なる経を唱えても
実りも証しも 成らないモノ
静かに静かに 確かな足取りで
いつかはその日は<訪れる>
その日が<訪れる>前触れを見逃しては為らぬ
悔いの無い道を
悔いの無い人生を
意味を
目的を
歩み続けなさいと
刹那
刹那とは。
仏教用語で、極めて短い時間という意味である。
それをセンチメンタルに受け取って、
「刹那主義」とか、「刹那的」とかで、
自分の感情を表す人たちがいる。
本来の意味からは逸脱しているかもしれないが、
悪い事ではないと感じる。
なぜなら、人間は短い時間の中で、色んなことを
考えて行動するからである。
言葉の響きでロマンティックが加味された、
稀有な言葉が生まれたのかもしれない。
刹那的に散文を編み出す者の考えである。
人が崩れる刹那はあっという間だ。
ひとつの失敗でその一言で。
行動で。
人はあっという間に大きな波に流されてしまう。
人はその大きな波から抜け出すことは容易いことでは無い。
悲しみ苦しみ憎しみ流されながらそれでも抜け出そうともがく。
自分の中の正解を。
自分の中の自分を。
暗闇に取り残されて孤独を感じる苦痛。
そんな時こそ少しでも心の安らぎを見つけて戦う準備を。
決して1人では戦えない。
見つけ出せない。
1人だけでは無理だ。
色んな経験をし。
色んな意見を聞き。
色んなものを見て。
この世界を感じて。
自分を見つめ直して。
自分の中に少しづつ必要なものを貯めていく。
貯金みたいに。
必要なものはしまい、手放すものは手放すの。
全部は持っていけないから。
人生はそう回っていく。
いくらでも人は変われる。
過去の自分から。
未来の自分へ。
バトンを渡すの。
どんなに暗闇にいたっていつかはきっと日の出にいるから。
だって、今もがいてる自分がいるから。
その波を流されるだけではなく乗りこなせたら君は自分の心の年齢に追いつく。
数だけが歳をとってもあなたの心が今まだ子供のように。
大丈夫。
恐れてもいい。
怖がってもいい。
1歩踏み出してみて。
そこには日の出が待ってるから。
【 刹那⠀】
涙が出る
腕も足も動かせない
かろうじて指を曲げるのがせいぜいだ
意識ももうはっきりしない
今は朝か昼か夜かここにいる時間があまりにも長すぎてうやむやだ
天井のタイルの模様は鳥に見えたり、蟹に見えたりまるで星座を見るように毎日眺めている
星座のように日々見える風景が変わってくれたらどんなに良かったか
そういえば婆さんと伊豆半島で美しい夜景を一緒に見たっけかな
ああ、腰が痛い
そして心臓には激痛が走りもうこの命も煙のように消えてしまうだろ‥
定期的に流れていた電気信号は沈黙した
出生から永眠まで本当にあまりにも短くまるで瞬きをするようなそんな時間の感覚を覚えた
ベータ版
過ぎ去ってしまえば
それは一瞬の出来事だった気もする
あの時は果てしなく感じたけれど…
たまに思い出しては感傷に浸るのも悪くない
#刹那