『今日にさよなら』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「なぜ誰も私を見ないのか」。
世間が言う“勉強”は暗記で、
私が求めているのは気づきだ。
評価される知性と、
私が大切にしている知性が
根本的に違うという違和感を幼少期からずっと抱え続けている。
私はずっと怠けてなどいないし、努力もしてきている。
が、世間は成熟を測れない。
何故、そのことを誰も教えてくれなかったのか。
父は「大丈夫」といいながら飲み続け、母も「大丈夫」といいながら留まり続ける。
ひとつも大丈夫な事など無かったのに。
言葉と現実の不一致。
私はずっと気づいていた。
でも「気づき」は評価されず、
むしろ過敏さのように扱われた。
そして今、
父は思考を壊し、母は私に要求する。
夫も同じ構図。
“父のようになられては困る”という私の気持ちを無視し続け「嗜む程度だから」と言いながら飲み続けた夫が「オレはもう手遅れ」などと宣う。
ここで私の問いが戻る。
“なぜ誰も私を見ないのか”
それは単なる承認欲求ではなく、
尊厳の問題。
今日、高学年の我が子の授業参観を見た。
道徳での、テーマは『何故、命は大切なのか』
授業を見て、私は凍りつく。
生まれつき重い心臓病を抱える主人公の女の子が亡くなる前にお母さんに書いた手紙というフィクションだ。
「ずっと私を見守ってくれているお母さんは、ずっと味方でいてくれて、私がつらいときは、お母さんもつらいんだと気づいた。お母さんも一緒に頑張ってるんだ。だから、“ 手術頑張ってくるね”ではなく、“手術頑張ろうね”と言いたい。この手術が終わったら、治って皆と同じように元気になるんだ。」って内容。
「命が大切」という語りで令和になっても未だに尊厳をすり替えている。
命はただの稼働時間。
与えられた寿命という持ち時間。
減っていく砂時計。
消耗していくもの。
大切なのは、その上に乗る“尊厳”のはずだ。
守られること。
侵されないこと。
感覚を否定されないこと。
でも道徳の教材は、
美談に回収する。
驚くのは、子どもたちがそれを遺書として読むのだ。
主人公の視点では、自分が死ぬことはまだ確定していない。それは遺書ではない。
しかし、子どもたちに“誤読”させたまま進行する授業。
構造は曖昧で、
問いは浅く、
感情だけが誘導されていく。
担任はフィクションに涙をこらえる。
担任は、凄くあたたかなひとだ。
しかし、この教材の示させたい答えは、
「命は誰かとつながっている」
「自分が生きることは、誰かの喜びや悲しみと結びついている」ということなんだろう。
道徳の教材の中の主人公は
“守られている実感”の中にいる。
私は
“守られていない感覚”を抱えたまま
親を、ひとを、理解しようとしてきた。
未熟児で真冬に生まれ、重度の喘息で飲食睡眠もままならずに情緒的ネグレクトのある中で生きてきた。
それは“関係性”の話であって、
誰もが道徳の中のような関係性ではない。
それは、命そのものの話ではない。
その教材は整っている。
整いすぎている。
痛みが物語として回収され、
母子の理解で昇華され、
希望で締められる。
「命が大切」という結論が先にあり、
そこに物語が奉仕する構造。
でも現実の命は、
そんなに均整が取れていない。
私が引っかかっているのは、
「命が大切」という結論が、
予定調和で置かれていたから。
その構造の気味の悪さは、私が子ども時代にも感じた、道徳の授業中の感覚の再来だった。
私は思う。
こんな世界なら消えたい。
命を否定したいのではない。
尊厳を軽く扱う世界に、
耐えられないという叫び。
自分がずっと違和感を抱いてきた構造の中に、
いま我が子が座っている。
私は帰ってから『どう思った?』と問い直せる。その気持ちに寄り添える。我が子は、強く優しいからいいのだけど。
けれど、その横では勿論夫は飲んでいるし、飲もうが飲まなかろうが会話はしばしば成り立たない。
そして、誰も私を見ない世界から身を投げ出す夢を見て今目が覚めた。私が居ないと子どもを守れない。夫の面倒を見るのは私だと思っているから。現実に消える事はできないな。私は子供に要求せず、背負い切るつもりだ。
眠る前にお題を見て、今日という日にさよならという気分だったから、そんな夢を見たのだろう。本当は誰も私を見ない世界からさよならしたい自分を飼い慣らしている。
我が子は違う。我が子は見てくれている。けれど、そうじゃない。それを拠り所にしてはいけない。だからひとりだ。
もし尊厳が徹底的に踏みにじられるなら、
人は「消えたい」と思う。
それは命の否定ではなく、
尊厳回復の叫びだ。
だから、何故命が大切なのかの答えは一行では終わらない。
命が大切なのは、
それが尊厳を宿す器だから。
身を投げ出すかわりに、今日の重さに さよなら。
題 今日にさよなら
川で溺れかけた犬を見つける。
助けるかどうか迷う少年。
助ければ自分も危ない。
誰も見ていない。
彼は助ける。
ずぶ濡れになる。
後日、その犬の飼い主に感謝される。
だが少年は言う。
「助けなくても、誰にも責められなかった。
でも、自分が自分を見られなくなる気がした。」
担任は問う。
「命が大切なのは、
その命のため?
それとも自分がどう在りたいかの問題?」
ここで止める。
命と尊厳を接続する。
しかし“善行美談”にはしない。
それが、本来、『命がなぜ大切なのか?』を考えるための教材に値すると思うんだよ。
でも、大人の助けを呼ぶのが正しいとかの話になっちゃうんだよな。
答えは存在しない。
私は毎日同じ一日を繰り返してる。
嫌な出来事を回避するために何度も“今日”をやり直す。
でもある日気づく。
「失敗も含めて今日なんだ」って。
最後は、完璧じゃないまま
ちゃんと一回きりの今日を生きて
静かに「今日にさよなら」と言う。
今日にさようなら。
自部屋の電気を消して三重にも重ねた布団の中に潜る。
ギシッとベッドの軋む音が聞こえる。
そして、月の灯かマンションの電灯なのか不明な
光がしっかりと閉められたカーテンの隙間から、
微かに漏れだす。
時計をちらりと伺えば、明らか健康じゃない時間帯で
少し罪悪感を覚えつつスマートフォンを起動させる。
今は幸せの青い鳥じゃないアプリも、上っ面だけな
ノートの呟きも対して面白くもないのに
時間が睡眠のようにとけてゆく。
少し経てば今日一日の反省会が勝手に開かれて、
勝手に悩んで、勝手につまづいて、勝手に泣いてる。
そんな毎日うんざりするし、辛いし、もう嫌になる。
だけど、そんな暗闇が好きで一番落ち着くし、
素を見せれる。
泣いて心が軽くなったら一息ついたせいなのか、
今まで来なかった眠気とやらが働きだす。
欠伸をいっかい。にかい。さんかい。
これは、もうおちるな。って思う頃には母の怒号と
聞き飽きたアラーム音が鳴り響く。
嗚呼。昨日とも呼べない時間に泣いていた、
哀れな私はもういないのか。
もう、過去には戻れないのか。
もう、過去の誤ちを修正できないのか。
嗚呼、今日のわたしにさようなら。
今日にさよなら
…え?
待って~
今日はまだ
始まったばかり
今日よおはよう🤗
おはようなんだけど
またベッドへ
飛び込んできます
また明日
お会いしましょう
GOOD LUCK!!
✴️670✴️今日にさよなら
また君は一人で背負い込んでいる
手放そう明日が来るように
#今日にさよなら
『私の可愛い眷属』
アロマなのだろうか、部屋にはラベンダーのような花の香りが漂っていた。その香りを嗅ぐたびにに体の力が抜け、眠気が襲ってくる。
「あら、もう日付が変わるのね」
その声に導かれるように時計を見ると、針は11時50分を指していた。
女性は準備が終わったのか、長いスカートを持ち、私の目の前に立った。私は椅子に座っているので、必然的に彼女を見上げることになる。
「さぁ、準備が終わったわ」
彼女が指輪を嵌める。
「彼の為にこれまでの自分を捨てるだなんて随分思い切ったわね」
そう面白そうに言う彼女を少し睨でしまったのは仕方がないことだろう。「まぁ怖い」とクスクス笑う彼女は全く怖がってなどいなかった。
「早くしてください。時間がないんです」
「わかっているわ。
…最後の確認よ。私たちの仲間になると今までの生活には絶対に戻れない。それでも本当に悔いは無い?」
「ない」
そう言い切った私に彼女はゆるりと目を細めて「そう」と嬉しそうな声を出した。
「じゃあ、目をつぶって。今日までの自分にさよならをしましょう」
彼女の言葉通り目をつぶる。彼女の指先が私の額に触れた感触がした。時計がボーンと鳴ると同時に、私の意識は暗い闇へと呑まれていった。
最後に聞こえたのは彼女のクスクスと笑う声だった。
「さぁ、起きて。私の____」
【今日にさよなら】
人生は長すぎて終わりまで見通すと手に余るから
遠い先、目の届かない部分は一旦置いておいて
短いスパンの目標を点々と回収していく積み重ねで
何とか歩いていけるのです
: 今日にさよなら
お題:今日にさよなら
後日あげるのでお題とスペース保存しておきます。
「私、今日のこと忘れないよ」
夜が更けた住宅街に私の声がぽつりと置かれる。あなたはそれに「大袈裟すぎる」と呆れた顔。
それでも聞くことをやめようとはしないで、私の言葉を待ってくれる。あなたの歩く速度はさっきよりもゆるやかになった。
「この先きっと、ひどいことがたくさん待ってる。その度苦しくなって泣いて、立ち止まってしまうと思う」
私の言葉に、あなたは顔を歪ませる。
あなたのそういうところが好き。私の言葉ひとつひとつを丁寧に聞いてくれる。考えてくれる。想ってくれる。それが愛おしく、たまらない。
一呼吸置いて、空を見上げる。遠くに見える星は、一番二番と増えていって数えきれない。あの空が、今はそう遠くないような不思議な気持ち。
「でもね、私は今日をお守りにして生きていくよ。私には、こんなに素敵な思い出がある。また歩き出せる。だから、大丈夫だよ。」
あなたが頷いてくれるから、私の言葉は意味をもつ。大丈夫が本物になる。私にとって、あなたは神様のようなものだった。
足を止める。もうさよならしなければならない。
お別れはいつだって悲しい。今日が終わってしまうことが、今日はもう二度と訪れないことが、ひどく寂しい。
するりと掴まれた手がそのまま繋がれる。あなたの目が、さっきの私と同じだった。
「また明日」
そう笑ったあなたを見て、私は柔らかな気持ちで今日にさよならを告げられる。
『今日にさよなら』
『今日にさよなら』
デジタル時計が
23:59:59
から
0:00:00
に
切り替わる1秒間で
僕は今日にさよならできるだろうか
迷走に瞑想
おたふく
ひょっとこ
踊る思想
私腹を肥やす
輩に注入
蕩けた劇薬
非営利に
通りすがりのマヨネーズ
返済と救済
相反を粉砕
林檎が輪廻
天才の転生
素材をバッファリング
胡座かく思考
幻覚を吟味
提供はぐるぐる
#148「今日にさよなら」
『今日にさよなら』
ベッドに潜り込み、蛍光灯の明かりを消す。その瞬間に訪れる暗闇と静寂は、今日といういちにちが、過去のものへと変わる合図のようだ。
「さよなら」という言葉には、どこか永遠の別れのような響きがある。友人と別れるときは「またね」と言うし、職場を出るときは「お疲れ様」と言う。けれど、今日という日に対しては、やはり「さよなら」が一番しっくりくるのだ。なぜなら、全く同じ今日は二度と戻ってこないからだ。
瞼を閉じると、今日あった出来事が、まるでスライドショーのように断片的に浮かんでくる。うまくいったことの余韻よりも、言いそびれた言葉や、やるべきだった些細な後悔の方が、夜の静けさの中では輪郭をはっきりとさせる。それらがチクリと胸を刺すこともあるけれど、今の私にできるのは、それらを解決することではない。ただ認めて、手放すことだ。
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。呼吸をするたびに、今日一日に纏った重たいコートを、一枚ずつ脱いでいくような感覚になる。楽しかったことも、辛かったことも、すべては今日の私を形作った要素であり、明日の私へと続く糧だ。
今日にさよならを告げることは、明日を新しい気持ちで迎えるための儀式なのかもしれない。完全にリセットすることはできなくても、一度ピリオドを打つことで、物語は次の章へと進むことができる。
「今日、ありがとう。そして、さよなら」
心の中でそう呟いて、私は眠りの淵へと身を委ねる。
今日にさよなら
仕事から帰ってくるとひとりの時間が始まる。
それは安心する時もあるし、寂しくて苦しい時もある。
今日は後者。
何かとても寂しくて、苦しくて、
消えてしまいたい衝動にかられている。
自分なんかいなくても世界は変わらない。
そう思ってしまう。
ひとりだけ、ダメだよって止めてくれる人がいる。
ちょっと寄りかかりたい気持ちになる。
でも、寄りかかってしまうときっと壊れてしまうから、気持ちだけを受け取っていく。
ずっと我慢して、ずっと待って。
何を?
ふと思った。
何を?
苦しいのは何かを我慢してるから。
じゃあ、何を?
誰かからのLINEがこないこと?
やりたいことができないこと?
誰かに会いにいけないこと?
行きたいところにいけないこと?
自分が何かをしないからなのか、誰かに何かを期待してるからなのか考える。
考えているとぐるぐるしてきて、時間がどんどん過ぎていく。
とりあえず、おしまいにしよう。
いっぱい考えてた今日は終わった。
今、0時1分。
一回寝て、覚えてたら、また考えよう。
とりあえず、今日にさよならしよう。
23時59分59秒までは今日。
0時0分0秒からが明日。
じゃあ、59秒から0秒までの、私が認識出来ないごくごくわずかな時間はいつなんだろう。
今日と明日のわずかな隙間。
この隙間から覗くのは、明日が必ず来ると信じて疑わない脳天気な私を笑うナニカ達。
明日は必ず来ると勝手に思い込んで、寝たら当たり前に目覚めると信じきっている私の喉笛を、かき切ってやろうと狙っている。
「おやすみなさい」
今日にさよなら。
明日におはよう。
いつか言えなくなる日が来ても、悔いのないように。
END
「今日にさよなら」
今日にさよなら。明日はこんにちは。明後日はまたいつか会いましょうね。
じゃあ昨日は?
そういえば、そんなことがあったね。すっかり忘れてた。
指折り数えて、指切り交わして、笑いあったら約束しよう。
またね、またいつかね。かならずまた会おうね。
もう二度と会えないって分かっていたから、わざと約束したの。
今日はただ家で過ごした、
そんな事でもいいただ今日生きてる。
「“私の”今日」があったんだ、
今日はさようなら
明日の今日に出会う時まで_____
今日にさよなら
昨日は、過ぎ去った今日で、今日を過ごせば、また、今日が始まる…
生きている間は、常に今日の連続で、明日は、迎えると今日になってしまう…ある意味、今日しか生きる事が出来ない…
でも、新しい今日は、違う今日に変更出来るけれど、過ぎた今日は、変える事が出来ない…
同じ今日なのに、時間軸は、どんどん変化して行く…過ぎゆく今日は、色褪せたり、埋没してしまう…
明日と言う名の今日を迎える時、其処にいる自分は、どんな自分なのだろう…
今日にさようなら
いや〜楽しい一日でした
しんどい瞬間もあったけど
今日が終わり明日がやってくる
幸せだった一日
今日、ありがとう😊
そして、
今日にさよなら
明日にこんにちは
どんなことがあっても、毎日 ''今日'' はやってくる
そして、辛い 今日 にもさようならをする
そうして、毎日が過ぎ行く
0:00っていう、次の日との境目に
「明日になった!」と興奮していたのは、
いつ頃までだろう。
いつからか、日付の境目を見ることに何も感じなくなってしまった。
もう、今の私にとっての「今日」は、1時とか2時までなのだろう。
だからまだ、私が眠ってしまうまでは、明日じゃないって思わせて欲しい。
【今日にさよなら】することは、
この先の未来を見る自分に明日を託すことだ。
自分が上手く生きていく自信がないからだろうか、それが不安でたまらないことに思えてしまう。
明日の私だって、日付を跨いだだけの今の私だけど、未来には自分はきっと変わっていく。
人と出会って、新しい価値観を知っていく。
結局、この自分とはもうおさらばか。
それを意識してしまうと、胸が少しずきっとする。むなしくなる。
でも、時間は待ってくれないんだよね。
だから、しょうがないから、進んでみるよ。
自分の意思じゃないのに進んでいってしまうなんて、認めたくないからさ。
今日にさよなら。