『たそがれ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
たそがれは
すべてを溶かす
空から青色がおりてきて、紫、赤、黄と夕暮れを溶かしていく。
色分けされたゼリーのように空が溶ける。
小さな三日月は空の割れ目。
逢魔が時の不思議なものたちがこぼれ落ちてくる。
すべてが溶けてまざってる。
たそかれたそかれ
となりはだあれ?
「たそがれ」
たそがれ
寂しいような
切ないような
胸が締め付けられるような
それでも夕日が沈む空は
綺麗で
泣きたくなる
黄昏泣き
その言葉を知ったのは、
生後間もない我が子の大粒の涙を見て、
途方に暮れていた頃。
はっきりとした理由はわからないけれど、
昼間の部屋の様子と変わってしまうことへの不安や
一日で目まぐるしい変化が起こる時、
処理能力が追いつかずに疲れて泣いてしまうのだと言う。
黄昏泣きは子どものための言葉なのだろうか。
夕方になると、得体の知れない不安におそわれる。
昼間に窓から見える景色ははっきりとした輪郭があり、
それぞれの色を持っていた。
私がそこにいても誰も気づかないように、
色の中に混ざることができる。
夜に行くにつれ、
オレンジ色の一枚の布で包んだような、
全ての境界線を曖昧にしてしまう。
それがとてつもなく怖いのだ。
自分の境界線までも、
曖昧にオレンジに侵食されてしまう。
じわりじわりと、薄い肌一枚の内側に
水彩絵の具のように混ざってくる。
そこには、今日一日の誰かの時間も混ざっている気がして、
知らない誰かの知らない時間が、
私の内側に入ってくる。
そうやってまた知らない
夜の国へと連れて行かれてしまう。
たそがれ
人生の終盤に差し掛かり
それまで経験してきた様々なことに
少しずつ侵食されてしまう。
夕暮れの中、母に抱かれて安心しきって泣いていた私。
今でもこの中にいるのだろうか。
だんだんとオレンジに曖昧にされて、
溶けてなくなってはいないだろうか。
#たそがれ
「……たっくん。」
「……ん、はる。どうした?」
どうもなにも、何も無い。
窓際のラタンチェアに腰掛けた、夕日に照らされたたっくんの横顔が綺麗だと思った。
気がついたら、声をかけていた。
「なにもないよ。かっこいいなって。」
「なんだよ、急に。」
「私はいつもいきなりでしょ? 思ったときに言わないとちゃんと伝わらないかなって。」
「そうか……」
目を伏せて、小さくははっと笑うたっくん。
ふふ、照れた?
「夕日。綺麗だよ?」
「おぅ。……隣。来てよ。」
「はーい。」
黄昏時、大好きな人と空を眺める。
そっとたっくんの手を取って、指を絡めた。
これはどこにでもある、けれども唯一無二の、竜也と遥香の物語。
たそがれ
裁縫
古い街並み
スリッパ
そのどれもがトリガーになりうる
今日もあなたは新しい世界をつくっている
たそがれ
公園で鳩の群れを眺めながら黄昏れてると
「餌やり禁止ですよ」
と声が。
「これは私が食べるんですよ」
と手に持ってたパンを頬張る。
鳩のいる公園で黄昏れてると、謂れの無い言葉をかけられる。
【たそがれ】
もう何連勤か忘れたけども煙草うま…。これだけの為に生きてる。ま、社畜なんて生きてるか怪しいがね。現代のゾンビと書いて社畜。テーマパークのハロウィンとか関係なくそこらじゅうに。パンデミック起きてるのかよって位いるけどな。ははっ。はぁ…イベントなんて知らね。さっさと職務に戻るか。どうせ、SNSで都市の吹き溜まりでゴミ問題や馬鹿やった人モドキの話を冷めた目で見る日でしかない。雪と同じ、大人になったら楽しい、ワクワク、綺麗なんて感情よりも煩わしいが勝る。キラキラと輝く純真なんざ無くしたよ。大人になるってのはそういう事。汚れるもんさ。はぁ、永遠に煙草吸っててぇ。
時間の流れを残酷に感じる。私が会うことができなかったその分、祖母がきちんと小さくなっている。ひとりで暮らす祖母と、全てを捨てて生活できたらどんなに良いか。しかしそんな甲斐性も度胸もない私は、時間が丁寧に教えてくれる祖母の持つ“限り”を見つめ、ほんのときどき寄り添うことしかできぬ己の無力さに身勝手ながら傷ついている。それでも、ひとつでも後悔が残らぬよう、黄昏れに立つ彼女の手をぐっと引き寄せる。そのたびに祖母は笑って「冥土の土産」と繰り返す。私はあといくつ、彼女の土産を増やせるのだろう。
【たそがれ】
あ 今日も暑かった
い まったく
あ ようやくだよね
い 飲み行きましょ
あ おー
い 1日で1番幸せ感じる
あ ほんと
『たそがれ』
夢のあと、黄昏草に口づけた。
/お題「たそがれ」より
こちらとあちらの境界が曖昧な時間。
さあ、早く帰りなさい。こうして忠告を受けている間に。
私があなたをあちらに連れていきたくなる前に。
向こうから歩いて来るのは誰だろう
夕闇せまり顔が判らん
金木犀の香る夕暮れ裏通り
居酒屋付近は焼き鳥混じり
#たそがれ
僕は学校の授業はだいたいたそがれている。先生が何を喋っているのか、今教科書のどこのページを見ているのかも分からないくらいたそがれている。たそがれると、気持ちが落ち着く。本当に楽になる。
でも例外もある。それは内山の授業だ。これは、どこのページを開いているか、何を内山が喋っているかなんてわかっていて当然。これがわからないと、多分、人生終わる。全神経を集中させ、周りの音を遮断し、一語一句聞き逃すことなく授業を受ける。本当に疲れる。
あのシワクチャやろうが。
少し暗い黄昏の中。
自転車を走らせる。
夕方の生温い空気を掻き分けて進む。
オレンジに染まった海を見ながら。
この時間が好きだ。
「たそがれ」
私が1日の時間の中で最も好きと言って過言ではないのが、黄昏時だ。
燃えるような夕焼けから、段々と静かな夜に変わっていく様子は、終わりの前の、最後の足掻きのように感じる。
ある日部活が終わって昇降口を出たとき、思わず「あっ」と声が出るほど美しい夕焼け空が広がっていた。
周りのみんなもきれいだと思うのは同じだったようで、「きれい」と口々に言いながらスマホを取り出して写真を撮っていた。
私もこの景色を切り取りたいと思って真似して撮ってみたけれど、なんだか違うような気がした。
写真も確かにきれいだったのだけれど、私が美しいと思った夕焼け空ではないような、そんな気がした。
写真は嫌いではないし、美しいと思う写真にも何枚も出会った。
けれど、撮影した人が感動して、シャッターを切ろうと思ったその瞬間は、もっと美しかったのだろうなあと思ってしまう。
もしかしたら、レタッチする前は、私が写真で見るのとは違った景色が広がっていたんじゃないか、と。
テレビのCMを見ていたとき、「AIが笑顔にしてくれる」「半眼をなおしてくれる」「被写体の大きさを変えられる」「背景を変えられる」と謳っているスマホを見て、写真ってなんのためにあるんだっけ、と考えてしまった。
笑顔じゃないのも、半眼なのも、被写体の大きさも、背景も、全部込みで切り取りたかった瞬間だったのではないのだろうか。
最近は黄昏時に外にいることが少ない。
「おいで、夕焼けがきれいだよ」と雨戸を閉める前にわざわざ私を呼んでくれた母は、今では夕焼けが見える時間に帰ると「もっと勉強してきなさい」と言う。
今度の休日は、窓から外を見てみようかな、と思ったけれど、多分次の休日はずっと先だ。
※たそがれ
たそがれに うなだれるは サラリーマン
酒を片手に 明日を 憂う
まず憂うべきは
己の行動であることも 知らずに
安酒で悪酔いする輩が多いからね
そういう奴は絡み酒が多くてね
欧米のように超強化規制して欲しいんだ
道端で飲んで車道で寝てんじゃねーよ
第肆作「たそがれ」
夕暮れ時、本日の終了へと時が進む。
宵闇とともに溺れる。鬱たる感情。
明日が来ればリセットされたる鬱。
鬱たる感情を含んだ微睡み。
その感情を抱え、今日もまた1日生きる。
(中学時代、学校が辛くて仕方なかった自らを思って。)
あなたが西陽に隠したその顔を、
たとえあなたを傷付けてでも見たかった。
それが何かの答えになるような気がしたから。
たそがれどき、あなたが待つ駅へ急いだ
あなたはもういないけど、あの頃の笑顔が焼き付いたこの駅は私の宝物
怒り、憎しみ
私たちは感情を表に出してはいけない
秘密こそがこの任務の鍵だ
でも何故だろう
貴方と過ごす度、何かが生まれている気がする
人に干渉してはいけないとわかってる
でも「明日何しようか」って
君と話したいんだ
黄昏時の窓を眺めながら
踊る軋むベットで
考えてしまう