『きっと明日も』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『きっと明日も』
朝がきて カーテンを開ける
身支度を整え コーヒーを淹れる
変わり映えない いつもの日常
これが幸せだということを なぜか 忘れる
きっと明日も、一緒におる。半年後も来年も、一緒におる。喧嘩ばっかりやけどな。最近の喧嘩は君の友達に俺がブチ切れた事やね。しゃあないやんか。君かて好きやったら我儘くらい言うやろ。どうでもええ奴には腹も立たへんねん。今日も早よ帰って来いやクソチビ。
毎日毎日、あんまり変わったことなんて起きない。
基本的には良くないことばかりで
前進も後退もしないのがふつう。
それでも自分なりにがんばって、
自分なりに生きている。
今日はそんな自分への贈り物をするんだ。
他でもない私が、私の面倒を見ないと。
そうすれば、明日も続くだろうから。
「明日の晩ごはん、なににしようか」
テーブルの上の食器を片付けながら君に聞けば、湯呑み片手に君は笑った。
「今食べたばかりで、明日の晩のことなんて考えられないよ」
それもそうか、と私も釣られて笑う。
シンクに二人分の食器を置いて、蛇口を捻る。
勢い良く流れる水が皿に茶碗にと満たされ、排水口へと滴り落ちていく。
数日前よりも少し冷たくなった水道水に秋の気配を感じながら、手にしたスポンジを濡らした。
「秋は美味しい物がたくさんあるから、何を食べようか迷っちゃうね」
そうだな、と相槌を打ちつつ皿を洗っていく。
水切りカゴと食器が触れる微かな音が響く、二人きりの静かな家。
「栗ごはんと豚の生姜焼き」
「秋の定番メニューだ」
君と二人、変わりばえのしない、けれど、掛け替えのない日常を送る。
テーマ「きっと明日も」
「きっと明日も」
小さな機械たちが住みつき始めてしばらく経つ。
ふたりとも子どもなうえ元はと言えば双子だから、こんな表現をするのは変だけど、「小さい方」の兄はおもちゃで遊んだり時々自分に抱っこをねだったりして全力で甘えん坊をしている。
「大きい方」の弟?はといえば、「仕事場」で何かしているらしい。まあ色々あったみたいだから忙しいんだろう。
ふたりはそれぞれ、離れ離れで、ひとりぼっちで過ごしてきた。
兄は記憶を消されるウイルスに感染したうえ、当時では排除する術がなかったからアーカイブ化──実質的な死を無理矢理迎えさせられた。
きっと明日も、また家族に会えると信じながら。
弟は失った兄を取り戻すために全力でなんでもやった。父とともに、必ず家族揃って暮らせる日を迎えるために。
きっと明日も、ふたりで努力できると信じて。
なのに、ふたりが望んだ「明日」は、永遠に来なかった。
随分時間はかかったみたいだが、ふたりは何百兆年ぶりに再会できた。望んだ形ではなかったのだろうけれど、ふたりとも安心した顔で接してくれる。
……少々やかましいけど、小さな子ども達にむぎゅむぎゅされるのも悪くない。むしろ……自分を信頼してくれてるみたいで、ちょっと嬉しいよ。
こんな日がきっと明日も来るよな?
そう信じて、夜空を見上げた。
夢を持ったことはありますか
夢に自信を持って生きていけますか
本当に自分のしたいことはこれなのか
こんな自分で夢を叶えることが出来るのか
夢を追いかけていると怖くなる
何もしてないと自分の将来に不安を覚え
夢に向かっているとこれじゃまだまだ足りないと自己嫌悪に陥ってしまう
かといって捨て去りきれない「夢」というもの
1種の呪いかのようなそれはそれがゴールのようでそうでは無い
「夢」のために頑張っていると頑張れば頑張るほど近づくんだから自分で限界を決めては行けないとよく言われる
「夢」をゴールだと思っていると叶えた時にその夢を持って出来ることはなんなのかが分からなくなる
しかし「夢」を持ってしまえば夢を叶えた後どう生きているのか全くヴィジョンが思い浮かばない
人生においてゴールとはなんなのだろうか
人は夢のために生きていると私は思っているが、ゴールが夢でないのなら何に向かって生き何を目標として過ごせばいいのか分からなくなる
2年前 性にあわない人物との出会いをきっかけにこのテーマに酷く苦しめられた
これまでは楽しいと思っていた場所が苦痛になりその人物を見かけるだけで目が泳ぎ心の奥が跳ねるのを感じた
しかし泣くのは決まってその人物の言動に対してではなくその人物の言動を受け不安になる自分の将来についてだった
この先自分は本当にこの夢を叶えられるのだろうか
1年後の自分は笑えているのだろうか
明日一日を上手くやり過ごせるのだろうか
遠い先の漠然とした不安から明日起こる出来事に対する不安までを抱え今ではあの時はストレスに支配されていたのだろうと思ってしまうほど毎日が緊張して明日のヴィジョンでさえも全く見えなくなっていた
それから2年経って夢を叶えるための一歩を踏み出した今でも不安は大きい
第一関門を突破した今はあの頃に比べたら相当楽しい生活を送っている自覚はあるが毎日心のどこかで将来に不安を感じこんなことをしていていいのか不安になっている自分がいる
当時は苦しい事があっても頑張っている推しを見て自分も頑張りきれていたが今では好きなことで生きていける推しに羨ましさを感じ「自分はこんなにも頑張っているのに」と思ってしまうことも増えた
人それぞれ努力の種類は違い色々な苦しみがあることは理解しているがどうしても自分と違う生き方をしている人を見ると比べてしまう
ごちゃごちゃしてしまって自分の思いを上手くかけている自信はないが私は今回「夢」を叶えた先にある人生の目的について考えた
これにも価値観は人それぞれあると思うが私はこの2年絶えず考え続けひとつの結論に至った
人生の目的を見つけることを目的に生きようと
これは些か重く難しいテーマで今後苦しむことは今と比べてあまり変わらないかもしれないが人生を終えるときに「楽しかった」と思えれば良いのではないか
フラッシュバックするフィルム映像が見応えのある物語であるように生きていきたいと思う
良いことが多くなかった人生だとして一つ一つを自身の中で整理し受け入れていければそれは最幸の人生だと現時点での私は思う
未熟で愚直な結論かもしれないが私は人生の目的を見つけることを目的として生きていくことにする
苦しいことも楽しいことも色々なことがある人生で私はきっと明日ももがきながら生きていくのだろう
__きっと明日も__
きっと明日も、いい日になる
そんなふうに、言い聞かせる
学校、嫌だな
授業、面倒くさいな
いじめられてるし、いきたくないな
でも、なんとかなるよね
そう言い聞かせて、小学校では、いい日なんて1日もなかった
中学でも、同じ
でも、高校では、いい日がやってきた
君に出会えた
授業も楽しい
友達も優しい
あぁ、いい日になった
✦きっと明日も✦
きっと明日も何もできないまま終わる。
なんで?なんて簡単なこと。
誰だって今までずっと抱えて来た嫌なこと
すんなり言えるわけないはずだ。
だって誰にも言えないから抱えてるんだもん。
相当信じれる人じゃないと。
案外、親を信じられない人もそう少なく無いと
自分は思ってる。 勝手にだけどね。
あと親友だってそう簡単に作れない。
もちろん友達も。
で、例え相当信じれる人がいても
自分が抱えてる重荷を
他人に持たせるなんてしたくない優しい人や
受け入れてくれなかったらって
慎重に考えられる人もいる
それに気付いて上げて
重荷を軽くしてあげれる人になりたいね。
きっと明日も、また同じような日々が続くんだ。
こうして僕は、退屈な日常に飽き飽きしている。
でも日常は、変わっていないと見せかけて少しづつ変わっていってるんだ。
まるで僕らを、蝕むように。
「ごめん!夕飯の買い物お願い!」
同居人からのメッセージを見て、なんかやらかしたな、と思いながら電車を降りた。
「ならたまには外食でも?」
と書きかけたが、出られない理由もあるのだろうと考え「了解」とだけ返した。スタンプは使ってやらなかった。事情を聞かないうちはそこまで甘やかせられない。
もともと今日は買い物をして帰るつもりだったのを思い出す。朝からゼリーが食べたかったのだ。コンビニでもいいと思っていたが、スーパーに寄るならスーパーの方が種類もあるし安いはずだ。
駅前のスーパーに入り、食材を買っていく。この流れだと作るのも私か。なら遠慮せず好きなものを作ろう。明日は私が在宅の日だから、きっと明日も私が当番になるだろう。なら二日分の献立を考えて…。
他人と一緒に暮らすようになって、自分が料理を作るのを苦にしていないのがわかった。むしろ家事全般を楽しんでいる。基本的なルールは「全ての家事を分担する」だが、相手がちょっとだらしないのもあって8割ぐらいを自分がやっている。
「もう、しょうがないなぁ」と言いながらやってあげると、屈託なく「ありがとう!」が返ってくるのが心地いい。今はそれがいいバランスになっている。
レジでお会計を済ませると手持ちのエコバッグは食材でパツパツになっていた。出ようとした瞬間、特売の棚に白桃ゼリーがどっさり積まれているのが目に入った。
私は2パック取ってレジへと踵を返した。
「カーテンから漏れる光のなかで」
ふと目が覚めて、彼女が隣にいることを確認していたら、すっかり目が冴えてしまった。
アラームが鳴るまで二十三分。
今、二度寝したら寝坊してしまうだろうから、丁度いい。
つい数日前までは、ひとりで眠っていた部屋に彼女がいる。
そして、これからもずっと。
子供の頃は当たり前だったことが、当たり前ではなくなって、そのことによって自分の気持ちに気がついた。
だから、あの日々は意味があったのだと今なら言える。
それでも当時はそんなこと思えなかったし、泣かしたことも、泣きそうなほど辛かったこともあった。
カーテンの隙間から漏れる光。
少しずつ明るくなっていく部屋。
身動ぎする彼女を抱きしめる。
「これからは、ずっと一緒だ」
そう呟いて彼女の額に唇を寄せた。
たぶん、明日も明後日も、この喜びを噛み締めるのだろう。
────きっと明日も
「『明日』はこれで、4例目よな」
5月の「明日世界がなくなるとしたら(略)」と「また明日」、8月の「明日、もし晴れたら」。
今日は「きっと明日も」らしい。某所在住物書きは配信の題目を目でなぞり、わずかな手ごわさを感じた。
大抵配信される題目は、この物書きにとって手ごわいものであった。それこそ、「きっと明日も」、難題のそれであろう。
「きっと」。 必ず、明日も◯◯になる。おそらく明日も◯◯だろう。間違いなく申し付ける。
さすがに「きっ」という呼び名の人物は居ないと思われるので、「キッと一緒に、明日も」は無理。
これくらいか。 これくらいだろうか。
「『明日』ねぇ……」
ところで10月1日はコーヒーの日らしい。
特に「それ」を意識しているワケではないものの、きっと明日も、無糖のコーヒーを飲むだろう。
――――――
10月に突入した東京ですが、まだまだ気温気候は夏の気配。だって明日が真夏日なのです。
明後日も25℃以上の夏日、その次も30℃の真夏日。夏、なつ、ナツ。きっと明日も暑いのです。
と、いう速攻のお題回収は置いといて、今回はこんなおはなしをご用意しました。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。某稲荷神社敷地内の一軒家に、人に化ける妙技を持つ化け狐の末裔が、家族で仲良く暮らしており、
そのうち末っ子の子狐は食いしん坊の遊び盛り。
その日も尻尾をぶんぶん振り回して、神社敷地内の縄張り巡回、もとい参拝者のための安全確認。
コロコロ美味しい栗の入ったトゲトゲが落ちていたら、参拝者が怪我をするかもしれません。
コロコロ楽しいトチの実が参道に転がっていたら、参拝者も転んでしまうかもしれません。
あっちにヤマブドウ、こっちにアケビ。
そっちのキノコは何かしら、毒かしら。
コンコン子狐は尻尾をぶんぶん振り回して、稲荷神社のご利益豊かな鎮守の森を駆け回ります。
断じて今日のおやつの収集ではないのです。
ぶんぶんぶん、パタパタパタ。
コンコン子狐は稲荷神社の森の中。参道の上。
葛の葉とツルで編んだカゴをくわえて、たまに参拝者さんからカゴの中にお賽銭を投げ入れられながら、稲荷の恵みを探します。
心の傷ついた匂いがする参拝者さん、魂にヒビ入った匂いがする参拝者さんには、1個数粒、稲荷の恵みをおすそ分けします。
ぶんぶんぶん、パタパタパタ。
コンコン子狐が今日の縄張り巡回を、丁度終えようとした頃に、木漏れ日のさすあたりを見上げると、
どうしましょう、なんということでしょう!
神社の花を撮りに来ていた参拝者さんの頭の上に、ぷっくり膨らんだイチジクが見えるのです!
「イチジクだ、イチジクだ!」
なかなかグルメな子狐、イチジクのジャムにバターとあんこを添えた、お母さん狐特製のタルトやどら焼きの味をよくよく知っているのです。
よくよく見れば、イチジクの下で写真を撮るこの参拝者、お母さん狐が人間に化けて店主をしている茶っ葉屋さんのお得意様。顔見知りです。
名前を、藤森といいます。花あふれる雪国出身の、心優しく魂清き人間です。
よし、お得意様の肩を足場にして稲荷のイチジクを採りましょう。神社の美味を頂きましょう。
人間よ、参拝者よ。狐のあんよを受け止めなさい。
子狐コンコン、くわえていた葛のカゴをおろして全力助走。力強く地面を蹴って、一気に写真撮影中の参拝者さんもといお得意様に飛び付きました。
イチジク、イチジク!
「わっ、なんだ、子狐!何をしている?!」
イチジク、もうちょっとで届く!
おとくいさん、せのびして!もっと前にきて!
「だから、何が、どれが目的なんだ、子狐!」
おとくいさん、ギリギリ届かない。不便。
「あのな……?」
突然子狐の足場にされた参拝者のお得意様。
ちょっと周囲を見渡して、丁度近くに食べごろのイチジクを見つけたので、
一生懸命おててなり首なりを伸ばす子狐に代わり、
1個2個、3個。形の良いものを採ってやります。
「ほら。これが食いたいのか」
コンコン子狐は大喜び!狐耳ペタリの狐尻尾ビタンビタンで、幸福にイチジクをカゴの中へ入れます。
イチジクの木にはまだまだいっぱい、おいしそうに膨らんだものが見えます。
きっと明日も、食べごろが見つかるでしょう。
きっと明後日も、食べごろはそこにあるでしょう。
ありがとう、ありがとう!
コンコン子狐は参拝者にお礼として1個、稲荷のご利益詰まったイチジクをくれてやりました。
子狐がダッシュで帰る後ろ姿を見る参拝者の肩やら服やらには、子狐が運んできたイネ科やマメ科のひっつき虫が、大量に残っておったとさ。
私はいじめを受けている。きっかけが何だったのかは今となってはもう思い出すことはできない。といっても、誰かを助けてその代わりになどという殊勝な心掛けからくるようなものではなく、なんかムカつくというような些細なことからであろう。たったそれだけの理由でこれだけ長い期間飽きもせずいじめを続けることができるものだなと感心すらしたこともある。それも直接手を出してくることはほとんどなく、私が席を離れている間に持ち物を荒らすという陰湿なやり方で。
彼らの誤算といえば、私がこの手のものを気にしないたちの人間であったことだろう。過去にもっと酷いことを受けていたおかげで感覚が少々マヒしてしまっているという何とも悲しい理由ではあるのだが。このままではきっと明日も明後日もその先もずっと続くことになるのだろう。
とはいえ、彼らは禁忌を犯してしまった。物を隠したり散乱させたりといったことでは、ただただ手間が増えるだけなためスルーしていたのだが、先日彼らは財布から現金を盗んだのだ。いじめが始まったときからいつかこうなることを予見して毎日財布の中身を確認する癖をつけておいたことが功を奏した。何も言ってこない私に対して油断したのか彼らはその後も数回にわたって繰り返した。私に決定的な証拠を握らせているとも知らずに。これらの証拠はついさっき警察に渡してしまった。彼らは思っていることだろう。「きっと明日もいつも通りの毎日だ。」と。そんな彼らの顔が絶望に染まる瞬間が今から楽しみで仕方がない。
「ごめん!夕飯の買い物お願い!」
同居人からのメッセージを見て、なんかやらかしたな、と思いながら電車を降りた。
「ならたまには外食でも?」
と書きかけたが、出られない理由もあるのだろうと考え「了解」とだけ返した。スタンプは使ってやらなかった。事情を聞かないうちはそこまで甘やかせられない。
もともと今日は買い物をして帰るつもりだったのを思い出す。朝からゼリーが食べたかったのだ。コンビニでもいいと思っていたが、スーパーに寄るならスーパーの方が種類もあるし安いはずだ。
駅前のスーパーに入り、食材を買っていく。この流れだと作るのも私か。なら遠慮せず好きなものを作ろう。明日は私が在宅の日だから、きっと明日も私が当番になるだろう。なら二日分の献立を考えて…。
他人と一緒に暮らすようになって、自分が料理を作るのを苦にしていないのがわかった。むしろ家事全般を楽しんでいる。基本的なルールは「全ての家事を分担する」だが、相手がちょっとだらしないのもあって8割ぐらいを自分がやっている。
「もう、しょうがないなぁ」と言いながらやってあげると、屈託なく「ありがとう!」が返ってくるのが心地いい。今はそれがいいバランスになっている。
レジでお会計を済ませると手持ちのエコバッグは食材でパツパツになっていた。出ようとした瞬間、特売の棚に白桃ゼリーがどっさり積まれているのが目に入った。
私は2パック取ってレジへと踵を返した。
僕には好きな人がいる。
毎日、学校へ行く度、その子と話す。
それだけで幸せだった。
幸せだったのに、最近は君が欲しくてたまらない。
僕は弱いから、自分から告白することはできない。
好きなのに、伝えることすら出来ない。
伝えたい。
それが僕の本音。
『好きです。』
この言葉を伝えるのがどれだけ難しいことか。
きっと、君は知らない。
題 : きっと明日も
今日はいいことがなかった。
昨日も、一昨日も何もなかった。
こんな話をしてしまったら、
暗くなってしまうかもしれない。
しかし、誰もが明るい世界で生きているわけではないのだ。光があれば闇もあるように。
私はいま、就活中である。
毎日、企業について調べ、SPIの勉強をし、
ESの書き方や面接を研究している。
流石にこんな日々を送っていると、
精神的にくるものがある。
誰もが必ず通る道であり、通ったあとは
誰もが共感するであろう。この時期の気持ちを。
受かる企業はあるのか。SPIの言語系がわからない、
面接で準備してなかった質問が来たら答えられるのか、入社したとしてもうまく仕事ができるのか、
人間関係は、、。書いていたらキリがないだろう^_^
いっそのこと、田舎街に行ってしまいたい。
一人で旅立ってしまいたい。
こんな都会で過ごすよりも田舎で過ごす生活は
精神的に最高だろうな。
しかし、私は心が弱く、色々な理由をつけて
実行には移さない。きっと明日もこの心の弱さは変わらないだろう。いつか、何もかも捨て、色んな世界を見てみたいもんだ。
ps.色々忘れてて久しぶりに書きたくなり、書きましたが、楽しいですね^_^SPIの試験で語彙力がないと言われてしまったので鍛えたいですが、難しいですね^_^
「あなたって本当に頭が悪いわね」
また今日も言われた。分からないところを質問しただけなのに。
私のピアノの先生は、私と出会った時
「あなたの事を見捨てることなんてしないからね。あなたの味方だから」
そう言ってくれた。でも蓋を開けてみれば私のことを蔑み、バカにしてくるような人だった。それでも先生の指導に必死に食らいついた。だが、どんなに努力しても、バカにされるだけだった。
もう限界だった。壊れそうだった。本当は辞めたかった。今私が通っているピアノ教室なんかやめてやりたかった。でも辞められなかった。
私の母親は音楽教師、父親は作曲家。小さい頃からピアノをやらされていた。大学に入ることをきっかけにこの先生になった。
初めの頃は信頼していたし、「この先生の元で学べば絶対上手くなる」、そう思っていた。だけど現実はそうじゃなかった。ピアノの鍵盤に手を置く度に思い出す先生からの言葉の暴力。それに耐えながらピアノを練習しても何も身につかなかった。
「私ってバカなんだよね…ダメ人間なんだよね…」
そう思うと上手く呼吸が出来なくなり、涙が止まらなくなった。
ある日、ピアノを練習しようと蓋を開けていつも通り鍵盤に手を置いた。でも動かない。よく見てみると震えている。必死に動かそうとするが動かない。
「なんで…明日レッスンなのに…」
とてつもなく焦った。こんな状態だったら明日、先生にもっとバカにされる。こんなのダメだ。動かない指を動かすために力を入れてみた。
何とか弾けるが、しばらくすると痛くなってきた。
「腱鞘炎…」
明日のレッスンのことを考えたくないが、これ以上やったらもっと酷くなる、そう思って練習をやめた。
翌日。
「なんの曲持ってきたの?」
「これです…」
「あなた、まだ終わらないのね。まぁいいわ。聞かせて」
先生は鼻で笑いながら言った。
腱鞘炎で痛みが走る中、必死に指を動かした。
「こんなの聞けたもんじゃない。やっぱあなたは頭が悪いわね」
もう無理だった。自分の中で何かが壊れた音がした。
レッスン中の記憶はなかった。とりあえず早く終わりたい、そう思って受けていたのかもしれない。
家に帰ると、膝から崩れ落ちた。涙が止まらない。まともに呼吸も出来ない。
「おかえり…ってどうしたの!?」
「お母さん、もう無理だ。私」
母親に今まであったことを全て話した。
「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
「我慢しなきゃいけないって思ったから。我慢すれば上手くなる。だけど上手くなる前に私が限界になったみたい」
「もういいよ、やめて」
「…え?」
母親からこんな言葉が発せられるなんて思っていなかった。
「あなたは充分頑張ったよ。もういいよ。多分今のあなたは疲れてる。少し自分のことを解放してあげてもいいと思う」
何故か自分の心が軽くなった気がした。やめていいんだ。楽になっていいんだ。そう思った途端さっきの涙とは違う涙が溢れてきた。
「さっ!ご飯食べよ!!美味しい物食べて忘れよ!」
そう母親は満面の笑みで言ってくれた。
きっと明日も辛いことはあるだろう。苦しいこと、辛いこと、どうしようも無いこと、色々なことがあるだろう。だが、逃げてもいい。逃げることは負けじゃない。自分を守るための武器なんだ、そう思えた。
風に流れるほうき雲
大きな楕円を描く鳶
きっと明日もこの空は晴れて
長閑に私を包むだろう
そうして束の間 喧騒を忘れて
✼•┈┈きっと明日も┈┈•✼
きっと明日も
スッキリと起きられる、ご飯はうまい
心配事は起きない、良い人と出会える、
悩むこともない、
グッスリ眠られる、
悪夢はもう見なくて済むだろう。
代わり映えのない毎日は
退屈かもしれないが
その代わり平和である
刺激のある日々というものは
休まらない
楽しいだけが刺激じゃない
危険なことや、嫌なことだって
刺激なんだ
きっと明日も
代わり映えのない日