愛と平和
愛とはなんだ平和とはなんだ
この愚かな私に教えてくれ
神は寡黙だ。
簡単に下界に知恵を与えようとはしてくれない
神様は放任主義なのかもしれない
神様の救いを求め空虚に手を合わせる人が絶えない
ステンドグラスに日がさしている
白に塗れた内装が自分の黒さを浮き彫りにさせる
白で統一された教会に真っ黒な自分が悪目立ちしている
どこかの統一された会は真っ黒であったが
黒さを認知した瞬間、世界は色を変える
世界から孤立し救いを待つ迷い人へと私は変身する
そしてその現実を呼び寄せる
ああ、ほら来た。
世界を丸で囲った時に私はその丸から隔離されている感覚
まるで誰も自分を認識しておらず勝手に自分勝手に存在しているようだ
これを人は疎外感、孤立感、などと呼ぶ
意識する間もなく孤立感と不安感や焦燥感が混ざりに混ざり襲い掛かってくる
喉が渇き汗が吹き出してくる
唾を飲む
目の前の現実を捉えようと目を回す
けれどどうもぼやけて息は乱れる
静かな教会に過呼吸が響き渡る
膝の上に置く手は絶え間なく濡れている
我慢しようと耐えるが余計苦しくなるばかりである
白以外は認めないという雰囲気を感じざるおえない
思った瞬間、同調圧力というのは力を増す
息が乱れていく視界がぼやけ息ができない
神様もなりたくてなったわけじゃないのかもしれない
全てに配慮していては何も言えなくなってしまう
配慮ばかり気にする世の中だ
何かに配慮して自分を疎かにしろと言っているのか
配慮。配慮。配慮。とまぁ私はお前の伴侶ではないのだ
全てを許せなど無理難題である。
配慮を求め全てを許せというなればまずお前が許るせ
混じり気のない愛と平和など存在しない
ジュースなどで果汁何パーセントと表記があるが
100%がなかなかない様に愛と平和も100%などそうそうありはしないのかもしれない
果汁1%や果汁4%が多い様に愛1%や愛4%なのか?
昨日から何も食べていない空腹の腹は情緒を狂わせる
水分も不足していた
教会は平和に満ちた場所だと想像するかもしれないが
被害妄想などでいくらでも恐怖の場所として認識可能だ
平和とは暴力の恐れや脅威を感じることなく、また、立法上のみならず実際の生活においても、いかなるかたちの暴力も容認されることなく、すべての人が安全に暮らせる。それが平和ということらしい
自分が幸せな時でも事件をどこかで起きている
この世が平和な時などないのではないだろうか
日が当たるとこと日陰なところがあるように
陰と陽が存在している、それも同時にだ
不穏と平穏も同時に存在している。
それを平和というか不穏というかどう言おう
心の中ではこの様なことを考えていても
現実では椅子に座って黙りこくっている
静寂の中に存在している心の中は荒ぶっている
心の中に渦巻く不安は消化しきれず悶々としている
心の消化不良でも起こしそうだ
混じり気のない純はない
100%などありはしない
ないものを追い求めてもキリがない
追い求めたくなる精神も分からなくはないが
挫折するか結果を残し賞賛されるかの二択だ
平和というのは刺激がないことを意味するのだろうか
自然や活字や音楽。平和でも存在できる物である。
表現の中で不穏でいればいい
自然は平和に生かされている
自然の輝かしさがなによりの刺激になるだろう
脳内で言葉のラリーを一人で巡らせる
何かが始まるわけではなくただ一人椅子に鎮座していた
無味無臭が香る教会
何か起こるわけでもなく明日からまた普通の日常が始まってしまうという焦燥感に苦しめられる
ただ淡々と生きていくしかない
大丈夫?と聞かれたら口角を上げ大丈夫。と呟くのが宿命であり運命だと
傷の舐め合いの為の苦しみになっている
苦しみだけが絆なんだ
犬が毛繕いをするように傷を舐め合っている
傷の舐め合う僕らにとっては。
最近はカラカラと空回っているので期待しないでくれ
後出しの言い訳ですまないが、ここまで見てくれた人にまぁ気にすんなと一言残しておこう。
3/11/2024, 6:44:33 AM