sairo

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微睡みの中、温かな何かが手に触れた。
控えめに、恐る恐る握られる。そこでその温もりが誰かの手だと知った。
誰だろうか。握る手の力は、微睡みを妨げることを恐れるように弱い。

――また明日。

ふと、手を振る幼馴染の声を思い出した。
泣きそうな顔をしながら、それを隠そうと笑みを浮かべていた幼馴染。交わしたその小さな約束を、今日はまだ守っていない。
そう思った瞬間。今すぐに目覚めなければという衝動に駆られた。
手を強く握り返し、体に力を入れる。
ゆっくりと瞼を開けば、差し込む陽の光の眩しさの中で誰かの影が息を呑んだように見えた。



「――おはよう」

掠れた声で交わした挨拶に彼女は泣くように顔を歪めた後、それを隠すように笑う。

「おはよう……といっても、もうお昼だけどね」

だからこんなにも明るいのか。眩しさに目を瞬きながら体を起こそうとすれば、彼女の手が背中を支えてくれた。

「ありがとう」
「どういたしまして。でもあまり無理はしないでね」
「分かってるよ」

大丈夫だと笑ってみせながら、正反対になってしまった立ち位置を少しだけ苦く思う。
以前は今の彼女のように背中を支え、心配するのが自分だった。きっとあの時の自分も彼女のような顔をしていたのだろう。

「そんなに心配しなくてもいいのに。ちょっと疲れが出ただけだよ」

安心させるための言葉は、逆に傷をつけてしまったらしい。何かを耐えるように俯く彼女を見て、内心で舌打ちをした。
立ち位置が変わった代わりに、最近の彼女からは以前のような柔らかな笑顔が消えてしまった。浮かべる笑顔はいつも、無理に作ったような泣きそうなものばかりだ。
それがただ悲しい。苦しませるだけなら、いっそ自分のことなど全て忘れてしまえばいいのにとさえ思ってしまう。
そんな考えが顔に出てしまっていたのか。彼女は椅子に座ると手を取り、両手で包み込むようにしながら囁いた。

「今日はどんな話が聞きたい?」

少し前の自分とそっくりだ。まるで願をかけているみたいだと、思わず苦笑する。
伝わる温もり。けれどそれだけだ。何も彼女へと流れていかないことに安堵して、窓の外へと視線を向ける。

「何でもいいよ。外のことを教えて」
「分かった」

視線を戻しそう伝えれば、彼女は頷いて静かに話し出す。
雨上がりの水たまりに映る虹。濡れた土の匂い。頬を撫でる少し冷えた風の感触。
懐かしさに目を細めた。長く見ていない訳でもないのに、切なさで気を抜けば泣いてしまいそうだ。
彼女も同じ気持ちだったのだろうか。ぼんやりとそんなことを考える。
包まれた手が温かい。静かな声が心地良い。
段々と意識が微睡んで、ゆらゆらと頭が揺れるのを感じた。

「――今日はここまでにしようか」

彼女の声が遠い。閉じそうになる瞼に力を入れながら、小さく頷いた。
包まれていた手が離れ、背中を支えられながら横になる。ぼんやりと見つめる彼女は何かを言いかけて、けれど口を噤み笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、また明日ね」

祈るような声だと思った。
小さく笑う。不安を隠し切れない彼女に向けて、そっと手を伸ばした。

「ん……また、明日」

小指を絡めて約束する。唇を噛んで小指を見つめる彼女に、もう一度また明日と呟いて目を閉じた。



舗装のされていない十字路に立っていた。
道を挟んだ向こう側に、自分が立っている。無表情で腰に下げた刀に手をかけているのを、当然のように眺めていた。
一歩。目の前の自分が、足を踏み出した。白い光が煌めいて、一呼吸後には体に力が入らなくなる。
切られたのだ。そんなことを思いながら膝をつく。切られた痛みはなく、だからなのか恐怖は感じなかった。

「勝手に手を加えるな。今回は大きく変わることはなかったが、時には在り方が歪むこともあるのだから」

そう言って自分が差し出した手には、一本の髪の毛が乗せられていた。
あぁ、そうかと、小さく笑う。髪の毛を受け取りながら、効果はあったのかと嬉しくなった。

「喜ぶことではないというのに。きかない子だ」

それを見て、目の前の自分は眉を顰めて溜息を吐く。呆れた様子に申し訳なく思うが、同時に今まで助けてくれなかったのだから仕方がないとも感じてしまう。
ずっと助けてほしかったのに、昔から続く春の祭りの人形は病気平癒を叶えてくれなかった。だから自分なりに考えて、一本だけ髪を混ぜたのだ。
髪を握り締め、満足だと笑ってみせる。後悔はないのだと真っすぐに目を見据えれば、困ったような笑みが返ってきた。

「病は斬った。一年は煩わされることはないだろう」

それだけを告げて、目の前の自分は背を向けて去っていく。
その後ろ姿が段々と滲んで変わって消えていくのを見送って、ゆっくりと目を閉じた。



目が覚めると、柔らかな朝の日差しがカーテン越しに降り注いでいた。
体を起こし、少し悩んでベッドから降りる。思ったよりも体が軽いことに驚きながら、窓へと近づいた。
カーテンを開ければ、広がる青空。けれど遠くに見える重たい雲は、雨を連れてこちらに来そうだ。

「――あれ?」

ふと、手に違和感を感じて視線を向ける。
右手の小指に、一本の藁が巻き付いていた。

「なんだ。夢じゃなかったんだ」

藁を解きながら笑みが浮かぶ。
もう一度窓の外を見てから、時計に視線を向けた。いつもならば、母が朝食の準備をしている時間だった。

「今日は、こっちから会いに行こうかな」

彼女は驚くだろうか。もしかしたらまたあの柔らかな微笑みを浮かべて、いらっしゃいと言ってくれるかもしれない。
そんな想像をしながら窓を開けた。夏にはまだ早い、少し冷えた春風が過ぎていく。
藁を乗せた手を差し出す。風に乗って空に舞い上がる藁を見ながら、賑やかになるだろう今日を思い笑った。



20260522 『また明日』

5/23/2026, 5:20:14 PM