馬鹿馬鹿しい、愛がなくったって私は何でもできる。
そう信じていた時期もあった。
「本当に、惨めだわ」
陳腐な言葉を借りるならば、仕事が恋人。成果を出す為ならば苦労を厭わない。趣味や友人、睡眠時間、ありとあらゆるものを犠牲にした。時には人を欺いた。
荒波のような日々の終着点は、鬱病という名の孤島だった。
「まさか貴方にスープを口に運んでもらう日が来るなんて」
「仕方ありませんよ。腕、動かないんでしょう?」
ああ、死にたい。無垢な問いかけに呆気なく自尊心を抉られる。それを知ってか知らずか「お味はどうです?」なんてスプーンを差出してくる。
「貴方、よくこんな事できるわね」
「たとえ裏切られても貴方を愛していますから」
瞬時にこの言葉が出てくるなんてどれほど気持ち悪い男なんだろう。私は彼を哀れんだ。
「悪いけど、謝るつもりは無いわ」
「残念。貴方の罪悪感を利用しようと思ったのに」
「どうして私が好きなの?」
私はあの頃と比べて酷く落ちぶれた。デパコスのアイシャドウで着飾っていた瞳。今では泥のようなクマが三日月型に浮かんでいる。さらに変わり果てたのは外見だけではない。
「結局私は、愛がないと何も出来ない人間だったの」
スプーンを拒むとシーツに茜色の飛沫が散った。トマトの酸っぱい匂いが鼻を掠める。涙が滲んだ。
「いいんじゃないですか。それが普通ですよ」
「貴方には何も分からない」
「はい。けど、僕は」
手に何か触れた。暖かくて、包み込まれる感覚。
「何も出来なくなった貴方が好きです」
彼の表情は子どもみたいにせつなかった。
5/17/2024, 10:33:15 AM