ひとは赤子のときには善もなく、悪もなく
育った環境や関わった人に植え付けられた種を育て
それがやがて大輪の毒の花を咲かせたとして
どこまでその人の責任と言えるのだろうか
善だとか悪だとかを突き詰めて考えると
人そのものの存在が悪なのだと
地球にとって
うつくしい星にとって
それを脅かす存在なのだから
ひとは純然たる悪だと思う
それでも生きているし
うつくしいものに接したときに悦び
未来をみてより良くしようとあがく姿は
善にもみえる
そういえば大戦下のドイツで
クラシックのコンサートで涙を流すナチス党員の姿をみてユダヤ人がびっくりしたって逸話があったっけ
芸術に心を揺さぶられる感性を持っていても平気で残酷になれる
本当に人間って度し難い
それでもわたしは人間だから
明日も生きる
少しでも善いひとになれるよう
きっとそのほうが後悔しないから
【善悪】
- 雑記 -
正義の名の元に行われる悪行が実は一番こわいかも
戦争は正義と正義のぶつかりあい。
だからゆずりらないし、終わらない。
ところで、どうして人間って悪に惹かれるのかな?
アルカポネやボニーアンドクライドにドン・ジュアン
欲のままに突き進み自滅するピカレスク小説の主人公たちがたまらなく魅力的で私は好き。
悪役のいない物語なんて炭酸の入っていないコーラみたい。
破滅的な生き方に憧れるのは
自分にはそうする勇気がないと知っているから。
誰かを傷つけると、それ以上に自分が傷つく
だから出来ないししない。
ただそれだけのこと。
自分は悪ではない。善だと言いきれるひとは凄いと思う。
でもそれってただ運が良かっただけだと思うんだ。
或いは嘘をついているか。
道徳教育で人間の善性を育ててはいるけれど
人間の悪性を産んでいるのはこの社会
もともと人はどちらにもなれる小さな種
子供には無限の可能性があると云うけれど
それは悪になる可能性もはらんでいるということ
4/26/2024, 10:15:09 AM