未来に期待
人によって、出来ることと出来ないことがある。例えを挙げるなら読書。ある人にとっては何時間も経ってもずっと読み続けることができ、またある人によっては軽くパラパラとページをめくるだけで全て理解できる人がいる。さらには、数分しか読んでいないと思い、時計を見たら長針がカチリと鳴る瞬間を見て、「あぁ、こんな時間まで読んでいたのか」と驚く人がいる。私はその人たちの一人だった。
原因は環境だろう。原因は限られた24時間という少ない時間だろう。原因は周りの人たちの音だろう。そのせいで頭が、脳がおかしくなっている。前までは読めていた本が、前までは数分にしか感じれなくなった時間が、前までは静かな環境が無くなっている。気づけば漫画もそうだ。文字は少しだけで、絵を見ているだけになっている。もはや絵本を読んだほうが良いと思い、それをパラリと開く。するとどうだろう?何とも惨めな感情が湧き出てくるのを無視して読むと、文字を文字として見れないことに気づいた。
好きな物が理解できないモノに変化してしまった。それか、私が理解できないモノに変化してしまった。変化したのならどの部位なのだろうか。脳、それか眼球、はたまた両方。眼球で文字を見て、脳がそれを理解する。それが欠落している。
好きな物、それか私が理解できないモノに変化した。きっとそれは時間がなおすのだろう。ならば、期待するしかないのだ。次の日、またはその次の日、はたまたその次の日に期待するしかない。
私は今、羨ましいのだから。
『ないものねだり』より
3/27/2026, 6:25:56 AM