めぐりる

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日が暮れた場所に、打ち水された冷い風。
南風が木々の葉を縫って北へ。
心做しか寂しげにカランと風鈴の音。
暑さ和らぎ、遠くからお囃子の笛と太鼓が
舞うように聞こえてくる。
「もういかないとね」
その人は薄ら微笑していた。
遠くのお祭りから距離をおいたこの場所には、
私とその人がいつからか立っていた。
「…そうなの?」
呟くとその人は軽く頷いた。
風が吹き抜ける。私の水色のワンピースを
パタパタと煽りまた北へ。
私はなんだか寂しくなる感覚に襲われる。
でも、わかっていた。
引き止めることをしてはいけないんだ、と。
すると、お囃子の聞こえる方から誰かが走ってくるのが見えた。
辺りはもう陽が落ちていて、人の輪郭だとやっと見分けがつく。
影のように黒い段々と近寄ってきたそれは、
息を切らして私の前で動きを止めた。
「は、花がな!咲いたんじゃ!」
その声は僅かに上擦っていたけれど、
「…花?」
「かな子の植えた残夏香の花が咲いたんじゃ!」
夏の終わりごろに咲く、白い花。
私は「かな子」という名に目を見開いた。
それは、8年前に病気を患って亡くなった祖母の名だったのだ。
「咲いたんじゃ…!かな子の花がのう…!」
振り絞るように俯いて呟くとその人に、
消えかかっているシルエットのあの人が、近づいていく。
「そうですか…そうですか…」
私はただその情景を見ていた。
「かな子…!かな子っ…!」
花が咲いたと噛み締めるその人は、全く気づかない。
あの人は白い手をその人に乗せて、微笑んでいた。
暗かりでも、その声は私の中で表情を浮かべる。
「うっ…!」祖母の名を口にしていたその人が
胸のあたりの服を掴んで呻き始めた。
そう、祖父は心臓が弱くなり激しい運動は禁じられていた。なのに、ここまで走って来たのだ。
私は映画でも見ているように、距離を一定に保ち見ていた。
「…敬三さん」
祖母が祖父を呼んだ。その声、場面を私は何年振りに見たのだろう。
「…かな子」祖父は一瞬驚いたように声を発したが、
すぐに何かを悟ったようだった。
「お前の花がのうっ…」
まるで、母親に説明するかのような声音だった。
「ええ、ええ」頷く祖母は祖父の手を取り
ふーっと私の横を平行に移動した。
「きよ、私たちもう行くわね」
祖母は祖父を胸に抱いて、私に言葉を投げてきた。
「…私、」
何か言おうとした時、お囃子の音に乗せて夜空へ
舞い上がる無数の黄金色した光の粒が見えた。
その光の粒は、祖父と祖母の輪郭に沿って光り、
やがて全て夜空がにもって行かれた。

それを見届けた時、私はえもいえぬ切ない温かさを胸に灯ったのを感じていた。
お祭りの場所から隣の家の裕二おじさんが、走ってやってきた。
「きよちゃん、大変じゃ!おじいちゃんがの…」
最後の方の言葉は、聞かなくても私は分かっている。
ただ、2人の旅立った星が輝く満天の夜空に
お祭りの賑やかな音が響いていた。

※残夏香という名の花は存在いたしません。


7/28/2022, 10:52:59 PM