恋物語
大学生の頃、ある講義のレジュメに書いてあった
“あなたは恋文を書いたことがありますか”
その講義は、プレゼンテーションについて学ぶものだった
つまり、“言葉で伝える”ことを学ぶ
初回の講義の日、担当の先生から言われた“言葉”は
“僕の話を100%理解してもらえるとは思っていません”
その先生の名誉のために言うと
別に学生のことを馬鹿にして言った言葉ではない
私が以前目を通したレジュメにもあったと思うが
人が自分の考えや想いを伝えるとき
それを“言葉に置き換える”
でもその行為によって、そこに妥協が生じる
なぜなら、本来伝えたい考えや想いをいちばんしっくりくるであろう“言葉”に“置き換える”から
“言葉”に“置き換えた”時点で、その考えや想いは100%は伝わらない
“言葉で伝える”ことを学ぶはずの講義で
“伝えることの限界”を思い知らされる
そして
そんな切ないことを知ってしまっている先生が
今、どんな“想い”で教壇に立っているのかを“思う”と
もう“言葉”には未来も可能性もないんじゃないか、とさえ思えてしまう
あの時、あなたは本当は何を伝えたかった?
“言葉の限界”を“伝えることの限界”を知っているあなたは
それでもみんなに
“言葉で伝えられることの可能性”を伝えたかったんだ、と思って良いのかな?
私はあなたに恋をしていたわけではないけれど
きっとこれからも、あなたの言葉は忘れないし
“言葉で伝える”機会を得られるなら
その可能性に賭けてみたいと思うよ
そう、私はあなたに恋をしていたわけではないけれど
長い長い恋文のようになってしまいました
“あなたは恋文を書いたことがありますか”
5/18/2023, 11:21:31 AM