初等部の頃から憧れてる人がいる。同じ、漢字は違うけど、長谷って苗字の『長谷伊織(はせいおり)』くんっていう、椿寮の男の子。
成績は常に上位で、運動ができて、話すのが上手で、観察力があって、人一倍努力してて、目が綺麗。諦めが悪くて、同じ寮の人からよく厄介事を押し付けられてて、それを文句も言わず引き受けて、笑ってる。
鈴蘭寮の人達にバカにされても、彼は泣かなかった。鈴蘭寮の権力があれば、明日自分の席が無くなってることだってあるはずなのに、彼は動じなかった。それどころか、彼は言い返せないぐらいに反論した。私だったらきっとすぐ泣いていた。でも長谷伊織は泣かなかった。真っ直ぐと立っていた。その姿が、すごくかっこいいと、幼いながらに思った。だけど、彼とは反対に、私は泣いてばかりの泣き虫で、頭も悪くて、口下手だし、ドジだし。おまけに集中力もなくて、だめな子だった。
図書室に行くたび、机に向かう彼を、私はぼーっと眺めていたまま時がたった。2年や3年よりももっと長い時間。中等部になった頃、初等部から見続けた彼の背中は、大きく、そして遠くなっていった。
「あのさ、」突然話しかけられた私は、肩をビクンと鳴らした。
「わ、私…ですか?」
「君以外にいないと思うけど」周囲を見渡すと、誰もいなかった。おまけに窓の外は空が暗くなっていた。月明かりは見当たらなかった。
「名前は?桜寮でしょ?僕は桜寮に知り合いはいないですよ」
「羽瀬里桜(はせりお)です!」
「僕に何か用があるのか?」
「あの、伊織くんは、なんでそんなに頑張れるのですか?」伊織くんは不快そうな顔をした。また私はやってしまった。無神経にズカズカと人の心に土足で入って、自分がされたらやなことをまたやってしまった。
「あの、その︙嫌味じゃなくて!︙わ、私、」
「いつもここに来てるよね。里桜さん、たっけ?」
「は、はい。ちょっとでも何かできるようになりたくて」
「…なにか出来ないの?毎日成長しようと努力してるじゃん。なにかできてるんじゃないの?」
「そうですかね…伊織くんはなんで、頑張ってるんですか?」
「知ってどうするの?」
「え、それは…」
「僕は、寮長になりたいんだ。母さんと父さんがそうだったから」
私は決意した。
少しでも、伊織くんに近づいて、伊織くんの隣りにいたいと。
今日、昨日までの私とさよならをする。泣き虫な私は今日捨てる。
伊織くんはきっと、泣き虫な私を忘れてはくれないけれど。
そもそも、私が涙を流すことを責めたりなんてしないことを知っているけれど。
今日と別れて、明日からの私に出会って、泣かないとは言わないけど、せめて、涙なんかじゃなくて、笑顔の似合う私になりたい。そしたら伊織くんはきっと、私に気づいてくれる。
羽瀬里桜は長谷伊織が好き。
普段笑わない彼の笑う顔も好きだけれど、普段の彼の顔も好き。大きな夢を語る彼が好き。大好き。
綺麗な目が見つめるものを私は知らないけれど、綺麗な目に映るものが何かを知らないけれど、私はその目が好き。彼のよく通る声が好き。でも、弱々しい声も好き。弱音を吐くときの声だって好き。
努力している彼も好き。だけど、だらけた彼も好き。大好き。
2/18/2023, 3:13:55 PM