足立 肇

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「タイムマシーン」

睡眠を取らなくなって約一ヶ月は経つだろうか。研究室に引き篭って何事かをしている時郎は、昼も夜も分からないカーテンを締め切ったままの部屋の中であらゆる工具をこねくり回りしたり、資料の山を漁ったりして日々を過ごしていた。がらくたとなった機会の部品に寄っかかったまま、時郎は数ヶ月前の月のまま変わっていないカレンダーを目を眇めるようにして横目で一瞥した。
─頭が重い。
今まで蓄積してきた分のツケが遂に回ってきてしまったのか、今日は今までよりも─彼に日数という概念はないに等しい─頭が重く、変な風に痛んだ。
─流石に眠らないと駄目か。でも……。
時郎はしばらく逡巡した後、大きく息をついて蹌踉とした足取りで研究室の一角にある仮眠のための粗末なベッドに横になった。次第に瞼が重くなっていき、やがて視界が真っ暗になると、ふと過去の記憶が脳内に蘇ってきた。
普段の時郎は夢や過去の記憶を見ることが全くない─見ないように意識しているために、時郎は夢や過去の記憶を見ることに対しての耐性がついておらず、多少の不快感を覚えたが、今は長時間の睡眠不足により脳が麻痺していたために、時郎はふとその過去の記憶に浸かってみる気になって瞼を閉じた。意識が段々と輪郭を失っていくのが分かる。
睡眠不足で霧がかった時郎の脳内に浮かんだのは、時郎のよく知る人物だった。時郎の唯一の友人で旧友であった時子が、目の前で畳の上に座り何かの分厚い図鑑のような本を熱心に読んでいる。
「時子……姿勢が悪いよ」
時郎の注意に、時子はいつも通り子供らしかぬ艶笑を浮かべて時郎を見つめた。
「ごめんなさい……でも、面白いものを見つけたのよ」
時子は本を抱えたまま時郎に手招きした。時子は隣に座った時郎に肩を寄せ、床にあるページを開いたまま本を置いた。
「これよ」
時子が指さすところを覗き込むと、そこには「タイムマシーン」と見出しが書かれていた。時郎は首をひねり、この「タイムマシーン」なるものの面白味を模索しようとした。
生来文字の羅列が苦手な時郎には、時子の読んでいる本の面白さも本を読むという行為自体の面白さも理解ができなかった。
「「タイムマシーン」。これを使えば、過去にも未来にも行けるのよ。凄いでしょう」
「過去、未来?」
「そうよ。私達が今生きてる時代よりもずっと前の時代にも行けるし、今の時代よりも更に先の時代にも行けるなんて……ロマン溢れる夢みたいな道具だわ!」
時子は天井を仰ぎ、夢見心地な表情でうっとりとしている。時子はこんな幻想的で抽象的なことを信じているのだろうかと、幼少期の時郎にはその表情や仕草が非常に不思議に見えて仕方がなかった。
「将来こんなものができれば、私、絶対に未来に行くわ」
「どうして」
「大きくなった時郎に会いに行くのよ。時郎はどっちに行きたい?」
時子は首をかしげて時郎の目を覗き込んだ。
「僕は─」

ばち、と目が覚めた。随分と長いこと寝てしまったようだった。大して柔らかくもないシーツに身を預けたせいでより身体の節々に痛みを感じたが、何故か頭だけはすっきりとしている感覚がする。
ベッドから起き上がると、部屋が真っ暗なことに気が付いた。カーテンを締め切っているせいか、余計に暗く見える。時郎はシーツにくるまったままボタンのスイッチを押しにいった。
スイッチを押すと、数秒の間の後に目の奥を突き刺すような光が灯った。目の奥がずきずきと痛んで眉間に皺が寄った。
「……そうだね、僕は……」
時郎はシーツを丸めてベッドに投げると、部屋のほとんどを占領している大きな機械に近寄った。機械に触れると、心地よい金属の冷たさが指先に伝わってくる。機械の周りには、その機械をあらゆる面から写したぼろぼろの設計図が大量に散らばっている。その雑多の中に、光を反射して煌めく何かが置いてあるのが時郎の目に入った。
痛む腰を守るように慎重にしゃがみそれを手に取ると、それは木製の額縁に入れられた写真立てだった。中にはフレームの硝子越しに笑っている時子の写真が入っている。隣にいるのは……時郎だろうが、硝子の上から黒く塗りつぶされていて分からない。
「僕は……」
時郎は硝子に全力を込めて指を押し付けた。指が潰れる感覚がし、ぱきんと硝子が放射状に砕けた。押し付けた指の腹に、少しの痛みとざらざらとした感覚がする。時郎は指の腹をフレームの縁に擦り付けて砕けた硝子を落とし、写真立てを埃を被った机の上に伏せて置いた。
「僕は─「過去」に行くよ、時子……」
─君がまだ生きていた、あの「過去」に……。
時郎は機械に寄りかかって、深く頭を項垂れた。

1/23/2026, 9:30:41 AM