空が泣く
『……今夜はペルセウス座流星群が……』
出勤の為の支度をしていた私の耳に、TVのニュースの断片が入ってきた。ルージュを塗り掛けていた手が、ふと止まる。
「流星群か……」
小声で呟いて、残りのルージュを塗り終えた。
あれは、まだ私が幼かった頃。
その日、私は祖母と二人で、星空を見ていた。
「ねえ、お祖母ちゃん。死んだ人はお星さまになるって、本当?」
「そうね……そうかも知れないね」
私の幼稚な問いに、祖母は空を見上げたまま、ため息を吐くように、ひっそりと答えた。
「でもさ、このままずっと、色んな人が死に続けたら、お空はお星さまでいっぱいになって、押しくらまんじゅうになっちゃうよ?」
頭の中にはぎゅうぎゅう詰めの星たち。その隅で、アニメに出てくるガキ大将の顔をした星が、怖い顔のおじさん星と、居場所を争って戦っている。
「大丈夫。お空はとっても広いから、押しくらまんじゅうにはならないよ」
祖母は、軽やかな声をあげて笑った。
「あら、流れ星」
「え? どこ? どこ?」
祖母の声に私は頭上をキョロキョロと見回したが、その小さな光はとうに消えていた。がっかりして肩を落とし、うつ向いた私に、祖母は、下を向いていたら、流れ星は見つからないよ、と笑った。
「お祖母ちゃん、お星さまに何かおねがいした? 流れ星が消える前に、3回お願いを言うと、叶うんだよ」
私は祖母の願いを聞いてみたかった。もし、私に出きることなら、クリスマスのプレゼントにしよう、とも思っていた。
けれども……祖母の細やかな願いは、私の手には余り過ぎるものだった。
「むかしむかし、この国は戦争をしていたの。沢山の若い男の人達が、兵隊さんにされて、沢山死んでいったの。あなたのお祖父さんに当たる人も、その中の一人」
ぽつりぽつりと、祖母が語りだした。
「お祖父さん、っていっても、私には全く想像が出来ないけどね……。女学校を出てすぐに、お祖母ちゃんのお父さんが、勝手にお婿さんを決めて来ちゃったの。それから1ヶ月もしないで、結婚式。私は、自分のお婿さんになる人の顔も知らなくて、『どの人?』って聞いて、大笑いされたっけ」
祖母が星空を見上げて笑った。
「それから2ヶ月経った頃、赤紙が来たの」
「赤紙って何?」
私の脳裏には、綺麗な赤い折り紙。
「兵隊さんになって、戦争に行きなさい、って命令の手紙」
「絶対に兵隊さんにならなくちゃいけないの?」
「そう。嫌だって言って逃げたら、捕まえられて酷い目にあうからね。で、あなたのお祖父さんは、兵隊さんでサイパンって島に行って、そのまま帰ってこなかった」
その時の私は、サイパン玉砕なんて、悲しすぎる過去の事件は知らなかった。ただ、寂しい気持ちで一杯だった。
「あれから何年経ったのか……もう、顔も声も何にも思い出せないの。空襲って、空からどんどん爆弾を落とされて、一晩でこの町は全部丸焼け。結婚の記念に、写真屋さんに撮ってもらった写真も一緒に燃えて無くなっちゃった。たった一つ残ったのが、お腹の中で頑張った、あなたのお母さん。どんなに爆弾が落ちて、周りが火の海になっても、びっくりして、慌てて出てこようとしなかっからね」
「ふぅん……。お祖父ちゃんに会ってみたかったなぁ」
「お祖母ちゃんも……逢いたいな……。でも、こんなにしわくちゃになっちゃって、もう、私だって分からないかな……。でもね……とっても優しい人だったから……。もう一度だけでもいいから、甘えさせてくれないかしらね」
幼い私には、一人で娘を育てながら、舅、姑に仕えた人生の孤独や辛さ、悲しさは理解出来なかった。ただ、訳もなく涙が零れた。
「泣かないで。泣いたら流れ星が見えなくなっちゃうよ」
祖母に言われて、涙を拭った時に見えたのは、ぼやけた星か、流れ星か……。
その祖母も、10年前に亡くなった。
さて、祖父の星に出会えたのか?
ひねくれた大人になった私は、何十光年、何百光年離れた星が出会ったとしても、私が生きているうちには、その光が地球に届く事が無いかもね、と苦笑する。そんな私に、もう一人の皮肉屋の私が、そんなに星が近づいたら、ロッシュの限界を越えて、爆発、消滅するわ、と突っ込んだ。
今夜は空を見上げてみよう。
都会の夜は明るすぎて、星も疎らにしか見えないけれど。
もしかして、運が良かったら、流れ星を見つけられるかもしれない。
それは、お祖父ちゃんに巡り逢えたお祖母ちゃんの、幸せな涙だったらいいね。
パンドラの箱じゃないけれど、最後に残っていた、子供の頃のままの私が、照れ臭そうに呟いた。
9/17/2024, 4:10:20 AM