ゆばたろう

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 ひなまつり


 奥座敷の薄暗がりの中に、私の背丈よりも大きな雛壇を見つけた。
 
 胸の奥をひやりとした手に握られたように感じて、ひゅっと息を呑んだ。

「電気もつけないで、よく見えないでしょう」

 祖母が後ろからやってきて、電灯の紐を引いた。
 ぱっと明るくなる。
 白い蛍光灯の光の下で見るそれらは、しらじらしく澄ましていた。
 赤い布が被せられた段々の上に、たくさんの人形と入りとりどりの小物が置かれている。甘い色味のあられが入った市販の袋を祖母は手に取って、私にくれた。

「ニナちゃん連れてくるっていうから、じいじと2人で今朝組み立てたんだよ」
「いいのに」
「せっかくあるんだから、たまには出さないともったいないだろ」

 母と祖父母が背後で話しているのを聞き流して、私はあられの袋を抱きながらじっと観察する。

 上の段に行くにつれて、人形の数が減る。
 5人から3人。3人から、最上段は2人。
 おだいりさまとおひなさまだ。
 保育園で歌ったひな祭りの歌で覚えている。
 家にも、小さな2人きりの雛人形があった。
 ほんとうの雛飾りはこういうものをいうのだろうか。
 
 それからの記憶は曖昧だ。

 私はひとり、奥座敷で昼寝をしていたらしい。
 ふっと目を覚ますと、薄暗い雛壇の最上段でからころと小さな音を立てて、橙色の灯りが回っていた。祖母がつけた電灯は消えている。
 しばらくその灯りが回るのを見ながら、私はぼんやりしていた。それまで見ていた夢の続きかもしれないと思っていた。しかしその夢がどんな夢だったか、思い出そうとすると消えていく。夢の尾を掴めない。

『にな』

 誰かに呼ばれた気がして、声のする方を見る。雛壇の後ろからのような気がする。
 
『にな』

 もう一度呼ばれて、私は雛壇の横を通る。
 雛壇を覆う赤い柔らかな布が、ゆらりと揺れた。
 その隙間から、雛壇の下に、真っ白な顔。

『にな』

 紅を引いたような鮮やかな唇が私の名前を紡いだ。
 眉下で切り揃えられた前髪。
 手招きをされ、私は近づいていく。
 私が何を考えたのか、何も考えていなかったのか、それとも考えることを許されなかったのか、いまとなってはわからない。

 ---以上が、私がこの世ならざるものを見るようになった契機である。


3/4/2026, 4:43:14 AM