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今の私には優しさがない。優しさがなくなった瞬間を憶えている。私は母に本当の私を理解して欲しい、という一心で生きてきた。母が離婚したいと言えずにいたので、私が言ってあげざるを得なかった。私が悪者になった。大学時代は授業料免除のうえ奨学金を貰いアルバイトに精を出した。浮いたお金は親の借金返済に消えた。働き出してからはひたすらお金の援助をした。母は口では遠慮しながらも決して拒否したり返してくれる事はなかった。手の届く範囲で一緒に住む団地を借金で購入し固定資産税を払い、電気ガス水道電話などの光熱費を全額払い、その上で生活費という名目で毎月10万円渡した。新たなマンションを購入する際は半額出した。3,000万円もの借金をした。結婚した後も母だけが住むマンションのローンと固定資産税を払い続け、光熱費全額を払い、月10万円渡す日々は変わらなかった。2017年癌を患い会社を辞めてからは10万円を渡せなくなった。でも母の家の光熱費と固定資産税は僅かな貯蓄から無慈悲に引かれていく日々は続いている。私は老後がとてつもなく不安だった。そんな頃、頼まれた食材の僅かな購入費を口にしたら「守銭奴」と言われた。凍りつくと同時に思い出した。20歳の頃自宅が荒れていて兄が酔った勢いで父に馬乗りになって怒鳴った事があった。そんな兄を母は擁護した。母は私達の本当の気持ちを受け止めてくれるんだ、と思った。嬉しかった。私は思わず大声で泣いてしまった。号泣したのだ。しかし母が言い放った言葉は「キチガイの振りは止めて」のひと言だった。絶望した、母が私を受け止めてくれる事はないんだ、と悟った。それから私が母の目の前で泣く事はなかった。それでも私は受け入れてくれなくても「理解」して欲しかった。心根は優しく母を想っている事を理解して欲しかった。しかし母にとっての私は常に腹黒くひねくれていて決して傷つかない娘なのだろう。嫌な事は全部私の役目だった。誤解した男性に断りを入れるのも私。父関連の事は毎回私が担当。実家の賃貸、清掃、売買、全て私1人が走り回り決して母が前面に出る事はなかった。とうとう私は心の心は壊れてしまった。母は会社のせいだと思っている。自分のせいだとは微塵も思ってないのだろう。医師からは母から離れる様に言われたが、そんな事は不可能だった。受け止めても貰えない、理解もして貰えない。そんな中で母への優しさは「守銭奴」のひと言で崩れ去った。多分母にとっての私はそのひと言に集約されているのだろう。この先私は母の老後をみれるのだろうか。いつか暴言を吐くのではないだろうか。

1/27/2023, 10:59:55 AM