「鏡の向こう側」
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なぜそんなことになったのか、きっかけになるできごともそんな兆候も何も思い当たることとはなかったのだけれど、私はある日を境に自分の姿が鏡に映らなくなった。
私はもともと鏡が大嫌いで、それを見ずに済むのなら一生見ずに過ごしたいというくらいだった。
だが、いざ鏡に映らなくなってみると、それはそれで不便というかなかなか困ったことになったと思った。
何しろ自分の姿が自分で確認できないので、身だしなみを整えることが難しい——とりわけ顔周辺に関しては。
他の鏡なら映るのではないかと色々試してみたが、自分の姿が映る鏡は一つも見つけることができなかった。
インターネットでガザの虐殺の様子や、政府に放置された能登の被災地の惨状なんかを見ていると、姿が鏡に映らないなんて、自分となんてくだらないことで悩んでいるんだ、となんだか落ち込んでしまった。
だからこんなこと大したことないさ、と楽観的に思えればいいのだけど、鏡に映らなくなって以来私の心はいつも今日の薄暗い鈍色の空のようにどんよりとしていた。
ある日他の人から見ても鏡に映っていないのかが気になって、恋人に聞いてみることにした。
しかし恋人には、何を言っているの、そんなことあるわけないじゃないかといった感じで怪訝そうな顔をされてしまっただけだった。
そして、私が見た鏡には変わらず私の姿は映っていなかったが、恋人の姿だけは昔と同じように映っていた。
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自分の姿が鏡に映らなくなって半年後、私はようやく解決策を見つけた。
私には自撮りという習慣が全くなかったので、この方法を見つけるまで随分時間がかかってしまったが、どうやら鏡には映らなくともスマホのインカメラには映るようなのだった。
ともかくこれでとりあえず日常の生活には支障はなくなったが、それはつまり大嫌いだった鏡を見る暮らしと同じような暮らしに戻ることを意味していた。
しかしそうして暮らしていると、自分の姿が鏡に映らないということなどすっかり忘れて過ごすようになっていた。
そんなある日、Sky -星を紡ぐ子どもたち-というゲームのフレンドさんと『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』という映画の話をした。
この映画の原題は “Alice Through the Looking Glass”、つまり〝鏡の国のアリス〟だ。
その話から思いついたのが、鏡に姿が映らないのなら鏡の中に入ることができるのでは?ということだった。
そして部屋の姿見に手を突き出してみると、ぶつかるはずの場所をするりと通り抜けて鏡の中に手が入っていた。
そのまま鏡の中に全身を通すと、そこは鏡を通り抜ける前と全く同じ世界だった。すべてのものの左右が入れ替わったことを除けば。
私の脳の左右も入れ替わったせいか、実際のところそのことに気づくことすらなかったのだが。
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鏡を抜けた先で、私は変わらない日々を過ごしていた。
というのも、もう一度鏡を通って元の世界に戻ろうとしたところ、私の姿が鏡に映っていて通り抜けることができなくなっていたのだ。
それは鏡に姿が映らなくなる前と何も変わらない日常だった。
そうして私は次第に鏡に映らなかった日々のことを忘れていった。
……元いた世界とは全く別の世界に来ていることに気づくこともないままに。
8/19/2024, 3:37:22 PM