狼星

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テーマ:宝物 #8

日々、人間は記憶する。
楽しいこと、嬉しいこと。
一方で苦しいこと、寂しいことも、平等に。
忘れてしまいたい過去ほどよく覚えていたりしてしまうのは苦痛だ。
でも、私は違った。
覚えていたくても覚えていられない私の話。

「おはよ〜、遥」
「あ、おはようございます」
私は声をかけられて反応するが、考える。
この人は誰だろう。私を知っている人なんだろうけど…。
「あ~…。私、未知! 遥の友達ね!」
「未知、さん?」
「未知でいいよ〜」
私は戸惑いながらも彼女を見つめる。
「あの、ごめんなさい。私…」
「あー…知ってるよ。だから謝らないで?」
未知は私の記憶が消えることを知っているようだ。
未知とあったのは、病院の庭のようなところ。広場と言ってもいいだろう。
「未知は、どうしてここに?」
私が聞くと未知は、少し寂しそうな顔をしてから
「うーん……。友達を待っていたの」
「友達…」
「そう」
彼女は指を絡ませる。その指は細く白い。彼女自身もなにかの病気なのだろう。
「その子は、記憶が消えちゃうの」
私は彼女の言葉を聞き頷く。私と同じような症状の子はきっとたくさんいる。その中の誰かなのだろう。
「その子と私は、色んな話をする。基本的には私が一方的に話すんだけどね」
彼女はそう言って足をプラプラと揺らす。
「その子といるときは、私が私でいられるの」
彼女は不思議なことを言う。
「なぜ?」
私が聞くとうーん……と唸ってから
「なんでだろうね」
そう微笑む。
「もう今日は、病室に戻ろうかな」
彼女は青白い顔をして言った。
「大丈夫?」
私が聞くと彼女は
「うんうん、大丈夫」
そう言いながら病棟の方へ戻ろうとした。その時
「あ…」
彼女の体が倒れていく。
ドサッと音がなった。周囲には人がいない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……
私は頭が混乱した。ひとまず声を出そうとした。
「ぁ、」
掠れた声が小さく出ただけ。これじゃあだめ……。
私は深く息を吸う。
「だれか、誰かぁー!!」
私は叫ぶ。誰かが私の声に気づいてくれるように
「誰かぁー!!」
誰も来てくれない。私は、目の前に倒れている未知を見る。そして彼女の手の近くに紙が落ちていることに気がつく。私はそれを見る。
【未知は、私の親友。 遥】
それは私の字だった。その時ドックンと心臓が脈を大きく打ったのを感じた。
私は未知の親友。その言葉が頭の中でぐるぐると渦巻く。
「未知、未知!!」
私は彼女の体を揺らす。
「遥さん!!」
朝、検温をしてくれた看護師さんだ。
「未知が! 未知が!!」
私はそう言って看護師さんに叫ぶ。看護師さんはたくさんの医療関係者を広場に集めた。みんな未知を取り囲んだ。
私は手にある紙をもう一度見る。すると、何かが動き始めるかのように頭の中に流れ込んできた。無くしたはずの記憶という宝物が。
『私は、遥』
『私、未知』
『友達を待っているんだ』
『友達は記憶がなくて……』
『私、この広場の木が好きなの』
『私も好き』
『待っているね、この木の下で』………

「あ、遥さん。大丈夫?」
私はいつの間にか自分の病室に戻っていた。
大切な何かを忘れている気がする。
大事なもの…忘れてはいけないもの…。
私が何よりも大切にしないといけないもの。なくてはいけないモノ…。
カサッと手の中で音がなった。私は、音のした方を見る。
視界が曇る。それがポロポロと目からこぼれた。
涙…?
私は息が上がる。なに…?なに…。この高まる感情は…「遥さん!?」
私の体は動いていた。看護師さんの声が聞こえる。行かなくちゃいけない。どこかに。
私は階段を下がる。私が向かった先は広場だった。
なんだっけ、なんだっけ…。私が忘れちゃだめなもの。私の大切な宝物。
「遥」
そん声が聞こえた。私のすぐ近くで、聞き覚えがある気がする。あぁ、私はまた忘れてしまっていたみたい。ごめんなさい。
でも、もう忘れないから。大切なものは持っているから。だからあなたも…。
「未知、待っていてくれてありがとう」
私は彼女を見た。彼女も私を見ていた。そして彼女は私に抱きついた。私も未知の背中に手を回す。
彼女は泣いていた。私も泣いていた。

忘れたい過去、悲しい記憶忘れたいかもしれない。
でも、今いる私はその過去の先に存在している。
どんなにつらい過去があったとしてもその先にいるのが未来の私。
だから私にとって、宝物は記憶だと思う。
思い出だと思う。

11/20/2022, 12:46:48 PM