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# 夢が醒める前に

 深く空気を吸った。雨上がりの匂いがする。百日紅の花と、湿った土と、雨独特の香り。そこに混じる微かな、貴方の匂い。
 夏の匂いだ、と思う。あの夏の匂い。もう実現することのない夏の。
 瞼を開ける。途端に強い光が眼球を刺す。その痛みさえ勿体無くて、我慢するという意識もないまま太陽を望んだ。遠い遠い青天井。真白の入道雲。
 僕は錆びたベンチに座っていた。澄んだ空に青々とした百日紅が侵食して、影を落としていた。視界の端に掠った紅色に釣られて顔を動かす。傍らには貴方がいた。
 惹かれるように見つめる。貴方の頬がきらきら光っていて、綺麗だ、とただ思った。
 頭上の葉から雫が落ちる。ぽた、ぽた、と落ちる。妙にスローモーションに見えた。
 貴方の手の甲をひとつ、小さな雫が打った。衝動的に、僕はそれを拭う。貴方の手がやけに白くて、古びたベンチによく合っていた。
 貴方はようやく僕を見る。水滴の乗った睫毛が震えている。貴方は口を開く。僕はそれを見て思う。
 夢が醒める前に、僕はこれを聞かなきゃ駄目だ。
 そこで、目が覚めた。

3/21/2023, 4:51:59 AM