ストライダー

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母親が亡くなった。着信に何度も親戚の叔母からの名前がある。俺は田舎を嫌い憎み上京をし作家になりたく出てはきたが夢ばかり頭の中にあるのになにも書けない日々をしているうちにバイトに終われる毎日になり夢が濁り10年が過ぎていた。叔母へ電話をかけ直す。「もしもし、お久しぶ」と最後まで話す間もなく叔母は「あのね、落ち着いて聞きなさいよ、お母さんが職場で倒れて病院に運ばれて、そのまま亡くなったの」と泣きながら話してきた。俺は放心状態になりながら「わかりました」と答える。あの帰りたくもなかった田舎に、このような形で帰郷するなど思ってもいなかった。母親と俺は母子家庭であった父親は典型的なアルコールとギャンブルに励むダメ男であり母親は逃げるように俺を連れ家を出て低所得者が住む今の団地へと身を隠すように生きてきたのだ。母は朝から夜まで働き俺を育てるために必死で働いていたのだ。その姿を見ている、ありがたさを普通の息子なら思うのだろうが当時の俺は母に対し嫌悪感を抱いてしまっていたのだ。そういう気持ちもあり高校を出て上京してから連絡もほぼとっていなかったのだ。この団地は変わらず貧しさを象徴するかのように昔からなにも変わっていない。団地では葬儀もできないので葬祭会館で葬儀をすることになるから来るようにと叔母からの伝言があったので葬祭会館に着くと叔母夫婦が先に葬儀屋と打ち合わせをしていた。叔母はたんたんとし「あら陽ちゃん久しぶり」といい俺も含め葬儀の打ち合わせを始めた正直、葬儀から、その後の記憶があまりないほどたんたんと進んでいった。だが疑問に思ったのだ何故スムーズにいったのか。葬儀も終わり落ち着き俺は団地で、しばらく過ごすこになったピンポーンとチャイムがなり叔母が来た。叔母からの話しで、ようやくスムーズに葬儀が進みその後の段取りができていたのかが分かった。母はここ数年末期ガンであったのだ、その身体をおしながらスーパーのパートをし貯金をし死後の段取りを息子の俺ではなく叔母に伝えていたのだ叔母から「陽一には病気のこと伝えないで迷惑かけなくないのよ小説家になってほしいから」と最後までいっていたと言う、その言葉にそれまでの母への嫌悪感はなくなり涙がとまらなくなった。叔母より俺が子供の頃に書いた作文を渡された、その作文はぼろぼろになっていたが、いつも自慢をしていたのだと言う、それは夢と言うタイトルで俺が小説家になり母を楽にさせたいというありきたりな内容だった。そのときの記憶が思い出される作文を喜びながら俺の手を繋いで歩いた母は空を見上げ美しく泣く姿だったのだ。俺は母との思い出を小説にしてみようと思ったのだ。

9/16/2023, 5:27:07 PM