徳博

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突然の君の訪問
 父は終戦直後、室蘭東高校を中退して花籠部屋に入ました。室蘭の北海道炭鉱の総監が父の父でした。父の兄は室蘭工業大学機械科から学徒出陣で横須賀工廠に入り、戦艦大和や零戦を製作する技術海軍少尉でした。東大機械科より優秀だと言われていました。随分後に父の姉は室蘭市民病院の看護婦長で定年しました。
 父は初めて飛行機に乗って角界入りしたのは千代の富士ではなく自分だとよく言っていました。マスコミは関取で初めてといっていました。父は幕下で廃業したので関取ではありませんでした。とは言えアマチュア最高峰が幕下で、学生実業団の大会(天皇杯)優勝1回の付け出しより上位の力士でした。
 親方との約束で日大桜丘か鶴ヶ丘とかの、どっちか(若貴が中退した高校の反対側)に通うのを、うちゃって相撲に精進していました。当時、花籠部屋は日大相撲部に行き一緒に練習していたそうです。
 日大相撲部の親方は日大総長(当時、理事長、学長、OB会代表等より最高位の職)でした。父は総長を東京の兄貴としたっていました。総長も「何でも困ったら俺の所に来い」と父に言っていたそうで。父は一緒に練習していた日大生に漢字なんかを教えていて事実上の副総長のようだったみたいです。
 花籠部屋の親方とかは父とは同族で宇多天皇後生阿部の佐々木源氏系統だったので終戦直後の食料難の時、部屋にあった国宝佐々木源氏の宝刀を質に入れ飯を食わせてくれたそうで。父は
女将さんの後を佐々木源氏の宝刀を持って、とぼとぼ付いていったと言っていました。
 栃若時代の最盛期で父は兄弟子の初代若乃花の付き人でした。昭和天皇がおこしになるたび、若乃花の横でお出迎えしていたとのことです。警護の人もいなく、お付き大夫などという方々もいなく父と若乃花だけで入り口でお待ち申し上げていたそうで、警備上
余り早くお知らせが、なかったと思われ父には殆ど突然の君のご訪問だったのでしょう。        徳博

8/28/2023, 1:41:22 PM