その彼は、ひどく濡れた目をしていた。
日差しが眩しいバス停のベンチ。
先に座っていた彼は、力のない手足を伸ばしたまま空を見上げていた。
私は少し離れてベンチに腰掛けた。お気に入りのワンピースがふわりと広がる。
「こんにちは」
「…こんにちは」
私に気づいた彼が、ゆっくりと挨拶を投げかけてきた。
濡れた目と穏やかな微笑みのアンバランスさが、私の警戒心を解く。
「いいお天気ですね」
持っていた日傘を少し、彼に被るように傾ける。
彼の微笑みが影ると、また濡れた瞳を空へ向けた。
「そうやって、逃げてもいいんですよ」
彼の笑みが消え、どこか遠くを見つめるような、真剣な横顔になる。
えっ?と聞き返す私にまた、彼は微笑みを向けた。
「たまには雨を降らせることも、大事ってこと」
ね。と立ち上がった彼は、小さく手を振ると気怠げに去っていった。
だんだん小さくなる彼の背中を、私はぼんやり見つめていた。心の中の、堅く焼き付いた部分が、解けていくのを感じながら。
背後から、バスが向かってくる音がした。
『通り雨』
9/28/2024, 1:05:40 AM