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「1000年先も一緒にいよう、とかいう言葉もあるけど」
コーヒー豆を挽く音に混ぜながら、青年は続けた。
「ほんとは1000年どころか、愛なんてものは100年ももたなくて、」
コーヒーの粒が細やかになっていることが、ミルの音色から伝わってくる。青年は構わず腕を動かして、眼鏡の奥の起き抜けの瞳に臆病な影を落とす。
「ひょっとするとこの世界も最初から存在しなくて、きみも僕もはじめっから、この世のどこにもいなかったのかも....」
そう言ったきり、青年は腕も口も完全に停止させた。
ソファに横たわり、腹の上の猫と戯れている少女の耳に、青年の言葉がどれほど届いたかは分からない。ただ、少女は猫を床に下ろし、台所まで歩いていき、
「ねぇ、その話難しい。今度じゃダメ?」
と呟いて、青年に抱きついた。
複雑な沈黙の後、青年は小さくため息をついた。少女は少し不安げに、
「ごめん、嫌なこと言った?」
と尋ねた。
「違うよ、逆。どうしていつも欲しい言葉をくれるのかと思って、不思議だった」
ぽかんとした少女を尻目に、コーヒー豆を機械に投げ込む。香ばしい匂いがワンルームのアパートを満たし始めた。少女はソファに戻りながら、今日こそどこの豆か当てる、と猫に宣言している。青年はもう、1000年先のこともこの世のことも、急速にどうでも良くなった。少なくとも、このコーヒーを飲むまで、彼女は青年と一緒にいてくれるのだ。

2/3/2024, 4:52:26 PM