たまこ

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(長いし説明省いているのでだいぶ意味不明です。フィーリングで読んでください)



 琥珀やね、と狐の青年はにんまりと笑った。
「琥珀、ですか」
「敬語いらんて。琥珀色。その眼ぇは、うん、琥珀色や。言うてうちもそう何度も見たことあるわけやないけど、金とも違う銅とも違う、黄色とも違う橙とも違う、言葉にするなら琥珀やろ。ちょっと淡い気ぃもするけど」
 すぅ、と細い目を開いて、彼は相手の瞳を覗き込む。丸眼鏡の向こうの瞳は、これは多分十人いたら九人がそうと言うだろう見事な黄金色だった。縦に裂けた瞳孔に爛々とした金の虹彩。捕食者の眼。
 この視線の先にあるのが、例えば獲物とされる鼠や兎などであったら、それはそれは哀れなほどに震え上がって逃げ出すなり気を失うなりするだろうが、残念ながら此度の相手――――琥珀の眼を持つ少年は、さほど感動も感情も乗っていない視線を緩慢に返しただけだった。
 まあ、それはそうであろう。金の眼を持つ青年が狐ならば、琥珀の瞳を持つ少年は猫である。それも比較的野生で生きているタイプの。毛並みは美しく血統書付きと言われても信じられるくらいだが、育ちが実にサヴァイヴァルだったことはこれまでの数ヶ月で嫌と言うほど聞いてきた。聞いてきたと言うか、普通に殺し合ってきた。きっかけはもうよく覚えていないが、壮絶な数ヶ月だったことは確かである。言葉よりも雄弁な戦いと言うか試合と言うか死合いだったが、終わった今はすっきりしてこうして穏やかに会話する余裕もあった。
「………琥珀、ですか……」
「なんや、含むなあ。嫌なんか、琥珀色。綺麗やと思うけど」
「嫌、というわけではなく、」
「敬語」
「うっ………別に、嫌じゃない。ただ、もうそれくらいは変わったのか、と思っただけだ」
「変わった?」
 青年が首を捻ると、頭の上の三角耳がふよんと揺れる。泥と血で汚れ若干煤けている狐耳は、それでも尚見事な黄金色だった。
 髪も睫毛も眉毛も夜に溶け込めるくらい真っ黒なのに、この耳とついでに尾はどうしてこんなに目立つ色なのだろう。目の前でぼろぼろになった服をどうにか畳もうと苦心している仔猫は、髪も耳も尾も全て暗い銀灰色なのに。
 猫の少年は服の残骸を諦めたように投げ捨てて、二股の尻尾でぺしんと地面を叩いた。
「やっと色が付いた。髪と、耳と、尻尾は、自分で見れるから知っていたけど。この眼もちゃんと色が付いてきた」
 未だ視線に感情が乗っている様子はないし、表情もすとんとした真顔に近い。
 けれど確かに、そう、初めてこの仔猫に会った時、狐は思ったはずなのだ。「どこもかしこも真っ白い、面白みのない猫又だな」と――――
「俺には何もなかったから。何も見なかった。何も聞かなかった。何も知らなかった。だから必要なかった。けど、こうして少しでも自分の足で歩いて、世界を見ていると、何だか世界には色々な物があって、色々な事があって、沢山の色があって……羨ましくて」
 真白に産まれた小さな仔猫は、産まれた途端に生き方を奪われ、死に方を決められた。色のない姿は意味を持たない姿なのだと、心が生まれる前に死んでしまった。
 けれど彼はその場から逃げ出して、決められた死に方を踏み潰し生き方を模索する権利を掴み取った。そうして、少しずつ、少しずつ、意味を掬い上げるように身体に色が付いていったのだ、と。
「俺の片方は黒猫だから、毛は黒くなるんじゃないかと予想してたけど。でも、眼の色だけは兄弟それぞれ過ぎて全くわからなかった。ちょっと色付いてから暫くそのままだったから、銀色なんじゃないかと思ってたんだけど」
 多分、貴方の色を写したんだろうな。
 そう言って、猫の少年は徐ろに手を伸ばし、爪の先で優しく狐の耳を引っ掻いた。
「貴方が眩しく見えたんだ。自由に生きている、生きて良いんだって。きっと他の誰かよりは、貴方は俺と近しい立場だろうから、貴方がそうして生きているのなら、俺もそうして良いのかなって。貴方のように生きていきたい、貴方の傍で……は、高望みかもしれないけど」
「………まだまだやねぇ、仔猫ちゃん」
 にんまり、と。狐の青年は笑顔を作って、再び猫の瞳を覗き込んだ。
「その程度なんか、まぁだまだやで。『自分がそうしたいからお前もそうしろ』くらい言わんとうちみたいにはなれへんよ」
「………慣れてないんだよ、察しろよ。何かがしたい、なんて鳴いたことないんだよ。未経験がそんなに図々しくなれるはずないだろ」
「うん、せやねえ。これから、一緒に色々慣れてこうな」
 猫ははちりと瞬いた。縦長の瞳孔が少しだけ円くなる。
 はち、はち、と両目を瞬かせて、細められた金眼とにんまりした笑顔を見つめた猫は、言葉の意味に思い至ってぐぬぬと口を結んだ。
「………あんまり、甘やかすなよ。図々しくなるぞ」
「構わんよ、幾らでも図々しくなりや。うちは幾らでもわがまま聞いたるから」
 ぐぬぬ、と唸っていた仔猫は、ややあって「………よろしく」と小さく頷いた。

 ――――それが、大体今から二百年くらい前の話。

 長い時間をかけて色々な土地を渡り、沢山のものを見てきた。小さな仔猫は凛とした成猫となり、感情豊かに、心を言葉や行動に移すようになった。狐は姿こそあまり変わらなかったけれど、ちょっとだけ物草になり、だいぶ猫に甘くなった。
 二匹は旅の終わりに美しい森を見つけ、そこに身を落ち着けることにした。いつか旅立つかもしれないけれど、今は少し、一つのものが時間をかけて変わってゆくさまを見てみたいと思ったので。
 森の動物達にも歓迎され、小さな体や拙い手足では届かなかったことを手伝って、何でも屋のような相談役のような扱いになってから、そこそこの時間が経った。小さな動物達は何代も営みを重ねて、そこに住まう生き物の中では木々の次に古くなってしまった。
 思ったよりも長く留まってもうたな。時々そう思うが、それを口に出すことはない。なにせ彼の相棒が、この森をとても気に入っているようなので。
 きらきらした光の下で忙しなく動いていた猫又は、今は鷹の仔と楽しく戯れているらしい。竹箒一本で空から突貫してくる鷹を軽やかにいなしている背中に声をかける。
「楽しそうやね、コマ」
「――――キキさん」
 三角耳がぴくりと動いて、髪と尾をふわりと揺らして振り向いた艷やかな黒猫は、幸せそうな表情で狐の名を呼び返した。
 蜜のように濃く煮詰まった琥珀色を覗くと、今日も黒と金の狐が微笑んでいる。


狐猫ノ家「君の目を見つめると」

4/7/2024, 6:38:42 AM