吾が猫 @21時~ 焚き火不定期

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『たった一つの希望』Day 1.
希望、それはなにかに絶望していたり、今の自分の未来が見えない時に縋るものだと私は思う。縋る、と聞いて崖っぷちを想像する人は私だけではないはず。そこに差す一筋の光はどれだけ心の支えや指針となるだろう。さて、前置きはこのくらいにしておいて本題といこう。初のお題は希望について。加えて"たった一つ"の希望である。先程述べたように希望は光と同様、早い話、今の私には思いつかないのだ。現在が安定しているとも言える。逆に平凡だとも。何事もないことは悪いことでない、寧ろいいことかもしれない。ただし、刺激の無い日々だとも伺える。それは私が積極的に物事に関わりや関心を持つことがなかったり、主体性がなかったり。色々であろう。現在で思いつかないのなら過去を振り返る他無いのだが、極度に絶望を味わっていた時期はあった。私は現時点で高校二年生、時は遡り中学二年生の時である。あの頃から私の心は弱く脆く形成されていった。中高一貫校ともあり、周囲は優等生、模範的生徒ばかり。授業のスピードは早く、理解に追いつけもしない。課題の量はどこと比べても数倍多く、期限内に提出することが億劫にもなる。友人関係は狭く深くの私に、新しい友達を見つけることの困難さ。これらが合わさり、自分に甘く生きてきた私には苦痛に取って変わった。5月上旬、ゴールデンウィーク明けより体調を崩し、不登校一歩手前。担任から休んだ日には毎日電話がかかってきて、私のその日の様子を問われるのだ。母親は申し訳なさそうに受け答えをする、それを見ているだけ聞いているだけの私は申し訳なさと不甲斐なさに打ちひしがれる毎日。ストレスというものは、人格形成に強く関わるものだと実感する。一気に負荷がかかると、本当に涙脆い人間になってしまう。そう、この私のように。大人になれば強くなる、強くなれるなど夢のまた夢かもしれない。なんせあれから4年目に突入しそうであるが、強かな自分が想像もつかないのだから。きっと今後も影で泣いてしまうような人になるだろう。どれだけ心が強ければ、と思うことは多々ある。それは特別限った日にというわけでもない。ふとした時に弱さが行動に出てしまうのだ、このクセはどんどん凝り固まって腫瘍になる。摘出の方法も分からないままただただ肥えていく。この時、希望が差し掛からなければ私はどうなっていたことか。希望、それはやはり友人だったかもしれない。いや、友人である。不規則に出席と欠席を繰り返すことは自身も相手からも距離を取られることの要因の一つ。そんな中笑顔で話しかけてくれたり、輪に入れてくれた子がいたのだ。気を遣うことは忘れずに、自分を繕ってでも希望の光だった。思えば、彼女の存在は今の私を作る重要な登場人物であり、偉大な存在だったのだと思う。輪に入れることに不快感を覚える人も居ただろうが、気にせず関わりを持ってくれた。人は人を繋ぐ、とはまさにこの事。繋ぎ止めてくれる命綱が私のたった一つの希望だったのだ。(2026/03/03 00:46:11)

3/2/2026, 3:46:20 PM