ただ側にいてくれたらそれでよかったのだ。側に居てくれさえすれば、他には何もいらなかったのだ。
無理も無茶もしないで欲しかった。贅沢も栄誉も必要無かった。誰の許しもいらなかった。どこにも行かないで、ただ一緒に笑っていて欲しかった。泣いて欲しかった。
この小さな家で2人で暮らせればそれでよかったのだ。
「お兄ちゃんの、ばか」
昔から馬鹿な人だったのだ。忘れっぽくて、不思議で、どうしようもない人だった。
飛び出していって偉くなって、誰かの旦那さんになって、わたしのことなんて、忘れちゃうくらい馬鹿な人。待ってろなんてことば信じなきゃ良かったのに。
あんまりにも自信満々でその姿がまばゆかったから、つい、待っていてしまった。馬鹿の妹も馬鹿だ、本当に。
凱旋だ、パレードだ。結婚だ。
おめでたい。いい日だ。素晴らしい日だ。
騎士さま、騎士さま。
おめでとう、ありがとう。
ああ、なんて輝かしい日だろうか。
きらきらした日差しと花吹雪の降り注ぐ、明るくて華やかで幸福の溢れた大通りの隅で、誰かと微笑み合うの兄を眺めて笑った。
ただ側で笑って泣いて一緒に生きてほしいと願った人は、知らない男になってしまった。変わらないでと願った人は、わたしのお兄ちゃんはもうこの世のどこにも居ない。
わたしの愛しい兄は、今日死んだ。
ただの観衆の1人になんて気付かないまま通り過ぎていったきらきらと明るくて眩しい誰かに背を向けて、その足で住み慣れた街を出た。
どうせなら、いつか兄がつれていってくれた暗い海まで行こうか。何で兄妹になっちゃったんだよ、と静かに泣いてくれたあの海ならわたしの心も報われるだろう。
飛び込んだらあの日の兄に会えるだろうか、と笑う後ろでまだパレードの喧騒が響いていた。
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ぱちん、と泡が弾けるように意識が戻った。引きとどめる何もかもを振り払って慌てて駆け込んだ家は、うっすらと埃を被ってひどく冷たかった。
ただ一枚、扉に挟まっていた遠い何処かからの手紙に縋って飛び出した先で、海に落ちて死んだ旅娘の話を聞いたのが、俺の最後の記憶になった。
@なにかに物語の主人公に仕立て上げられた兄と血のつながらない兄の帰りを待っていた妹の話
4/20/2023, 1:28:22 PM