大足ゆま子

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八月三十一日、午後一時五十六分。
 りゑ子の夏休みもあと半日もしないうちに終わる。

 宿題はとっくに終えていたし、滅多にない“家族揃っての休日”なのだからどこか遠くのレジャー施設にでも連れて行ってほしいところだが、りゑ子はその日、父と母と弟のひこ彦とリビングで身を寄せ合うようにして、何をするでもなくじっとしているしかなかった。

 庭に通じる大きな窓はカーテンが閉め切られていたが、キッチンの小窓からは絵に描いたような青々とした夏空が広がっているのが見えた。光線みたいな強い日差しが、りゑ子の顔を照らす。しかし、眩しさに顔を逸らす前に、時折何かが太陽光を遮って薄暗い部屋から光を奪っていく。

 窓の外からは、一切の物音も聞こえてこない。
子育て世帯向けの広大な住宅地で、普段なら車の往来も多く、乳児の泣き声や小学生のはしゃぐ声が四六時中聞こえてくるような場所なのに、今日は町ごと死に絶えたようにしんと静まり返っている。

りゑ子とひこ彦を抱き寄せていた母が、時計を見て「そろそろね」と言って立ち上がった。テレビのリモコンを押したが、電源のついた画面は砂嵐しか映さない。母は緊張した顔のまま、ボタンを押して国営放送のチャンネルに合わせた。


 殺風景な白いスタジオに、スーツの中年男が一人座っている。男の顔も母親同様に表情筋が硬直し、目は血走っていて、台本であろう数枚の紙を持つ手が小刻みに震えている。

 甲高い電子音が鳴り、スーツの男がゆっくりと口を開き始める。父の大きな手がりゑ子の肩を強く掴んだので、思わず彼女は「痛いよ」と声を上げたが、すぐに母に「静かにしなさい」と叱られてしまった。
スーツの男は原稿を必死で目で追いながら、震えた声で読み上げた。


「国民の皆様、今年も『オミツギ』の日がやってまいりました。皆様には例年同様、指導者様のご選定が終わるまではくれぐれも外出しないよう、お願いを申し上げます。なお、今年の『オミツギ』数は、昨年の二倍である約三百五十世帯となっております。選出されました皆様は、なるべく抵抗せず速やかに捕食されて頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。」


 そこまで言うと、スーツの男が禿げた頭を下げたと同時に画面は砂嵐を映した。
 母が泣いている。父はよくわかっていない様子の幼いひこ彦を抱え上げて、圧し潰してしまいそうなくらい強く抱き締めた。


 ふと、りゑ子は庭に出しっぱなしにしていた朝顔の存在を思い出した。
 そうだ、毎朝観察日記をつけなくちゃいけなかったのに。今朝は庭に出ることもしなかった。水もまだ上げていない。今日まで丁寧に育て上げてきたのだ、枯れてしまっては困る。


 りゑ子はキッチンの小窓を振り返り、陽射しの強さを確認しようとした。
 途端に、小さな窓が闇に覆われ、リビングは真夜中と化した。



#スリル

11/13/2022, 3:50:29 AM