059【奇跡をもう一度】2022.10.03
とうとつに、田中先生が、吹いた。職員室中がびっくりして、全先生の視線が田中先生に集中した。田中先生は、いやぁ、すんません、というふうにペコペコしたものの、なおも笑いがこらえきれないようだった。
「いったい、なにがそんなにおかしかったんです?」
となりの席の山本先生がたずねる。田中先生は1組、山本先生は2組、お互い同じ学年の隣のクラスの担任である。
「いや、この都筑さんの日記がね……」
と差し出される日記帳。
そこには、「初めて100点をとったら、お母さんが『奇跡の100点!』といって大よろこびした」というようなことを、子どもらしいおおぶりの文字でかいてあった。
「ええっ、都築しのさんが100点!」
勝手に日記帳をのぞきこみにきた、うしろの席の高橋先生がすっとんきょうな声をあげて、これまた、ごめんなさい、とペコペコする。
「高橋先生は、この子が1年生のときに担任されてたんですよね」
「そうです、そうです。私、この子のお姉さんももったことあるんですけど、これがきょうだいか、っていうくらい差があって……しのさん、どうしてもお姉さんの優秀さと比べられてしまうから、しんどかったと思います」
田中先生から手渡された日記帳をくいいるように見つめて、高橋先生は、感無量、といった感である。
「しかし、きゅうに伸びたような気がするんですけど」
と山本先生。
「国語の《ごんぎつね》が、この子にとってはアタリだったようですね」
と田中先生がこたえる。
「挙手の意気込みがすごかったですし、漢字のミニテストまで意欲的だったんですよ」
それについては、山本先生も高橋先生も、わかり味しかない、といった様子で、
「ありますよね!そういう瞬間」
「あります!やりがいしかないですよね、そういう時って」
「教師冥利につきる、っていうか」
もう三先生とも、お互い、うんうんとうなずくしかない、という感じである。
「いま、お母さんとしては、奇跡をもう一度、というところでしょうかね……」
としみじみした様子で山本先生がいうと、
「でしょうね。ていうか、私がそんな気持ちです」
と高橋先生も、じーんときたような様子でいった。
「うん。わかります、その気持ち。でも、教師たるもの、奇跡をアテにしちゃダメです」
田中先生がそうきっぱりというと、二人の先生はびっくりしたように凝視した。
「あっ……ていうか、ほら。やっぱり子どもたちにちゃんとした実力をつけてあげなくちゃ……」
あたふたする田中先生に、
「でも、それ重要ですよ」
と山本先生は腕組みしながら、意味深げにうなずく。
「運動会とか音楽会で、とつぜん化ける学年ってあるじゃないですか。あれって、ぱっと見、奇跡だ!、とかって自分もおもっちゃうんですけど、実際は、担任とか学年団が、日常の学校生活のなかで、要領を得た働きかけをどれだけ積み重ねられたかどうか、なんですよね」
すると、高橋先生もうなずきながら、
「なるほどね……教材がクラスや学年の雰囲気にうまくマッチしたとか、偶然のめぐりあわせ、っていうのはたしかにあるんですけど。でも、だからといって、奇跡ではない。日ごろの積み重ねの結果が出ただけ、なんですよね……」
そして、いまおもいついた、というふうに、ことばをついだ。
「じゃあ、田中先生の新しい目標は、『しのさんの次の100点は、お母さんに奇跡といわせない』ですかね」
「あー……それそれ!オレのいいたかったこと、それです」
ぱっと、田中先生の顔があかるくなった。
「うまく言語化してくれて、ありがとうございます!」
そして、なにかいいことをおもいついたのだろう、くるりと机の方にむきなおると、あらためて日記帳をじっと見て、なにか書き込みはじめた。
赤ペンを走らせる音が、こころなしか、いつもよりはずんできこえるようだった。
10/2/2022, 7:44:45 PM