「今日一日、俺に攫われちゃくれねえか?」
なんて、ちょっと真剣に両手を握り締めれば、彼女は白く大きな日除け帽の影から柔らかく笑って頷いた。
肩出しの白いワンピース姿をした彼女を自転車の後ろに乗せてペダルを漕ぎ出す。
宛てなんてない。ただ、夏という季節に何故だか酷くあせらされ、この焼ける季節のド真ん中で彼女と少しだけ風になりたいと思った。
後ろに横座りした彼女に腰を抱き込まれ、ドキドキと心臓がやかましい。
「今日はバイクではないんですね」
「ああ、修理に出しちまっててな。アナログだが、たまには良いだろ?」
『そうですね』と返す彼女。風になびく綺麗な髪を、運転によって見られない事は残念だ。
黄色い花が道脇にたくさん並ぶ田舎道を、夏空の下でぐんぐん進む。
新たな景色が目に飛び込む度に、彼女は楽しげな声を挙げる。
連れて来た甲斐があったな、と彼は胸が躍った。
最終的に行き着いたのは、町を見下ろせる丘。
彼女の思い出の丘に比べれば、随分小規模な場所だが、心地好い風が吹き抜けている。
隣に立って町を眺める彼女にふと目を向けた。汗で湿っぽくなり、首筋に少し張り付く金糸の髪。なんだか目のやり場に困り、彼も慌てて町の方を見た。
「運転してお疲れでしょう。少し休憩にしませんか?」
一しきり美味しい空気を吸った彼女が星の杖を取り出すと、一振りでカフェテラスのようなパラソル付きテーブルセットを出現させた。
テーブルの上にはラムネ瓶が二本。
自転車の運転と暑さで多少疲弊している彼にとって、なによりも魅力的な飲み物に見えた。
思わずツバを飲み込む。
「こいつは世界一のカフェだな」
「さあ、飲みましょう」
椅子に座りシュッと開封の音がする。
「どうだった、悪党に攫われた気分は」
「とても楽しかったです、今度は私の方から攫いたいですね」
「期待してるぜ」
握った瓶を前に出す。
彼女は柔く微笑み、同じように瓶を近づけた。
軽くかち合い、中のビー玉が揺れる。
それはこの夏に聞いた、二人だけの内緒の愛の音――。
8/14/2023, 5:23:36 PM