NoName,

Open App

会社の近くの小さな映画館で懐かしい映画がかかっていることを知り、無性に観たくなった。
残業もそこそこにオフィスから出てビルの出入口へと向かう。
自動ドアを抜け外に出ると雨が降っていた。
しまった、オフィスの傘立てにおいたままだ。
取りに戻るか?映画館まで距離があるけど走るか?
「間に合うか?」独り言がつい口に出た。

すると後ろからピンクの傘が俺にさしかけられ、
「駅?傘に入ってく?待ち合わせ?」
と矢継ぎ早にきいてくる女の声がした。
振り返ると一つ上の先輩だった。テキパキと仕事をする人で、長い髪をいつも一つに束ねている。

「いや、映画観に行こうと。駅じゃないんで大丈夫っス。ありがとうございます。」とこたえて俺は雨の中を走ることにした。
ところが先輩が、「そこの小さい映画館?なら大して遠回りじゃないし、映画の途中でくしゃみしたらまずいじゃない?傘に入っていきなさいよ」と俺に並んで歩き出した。

よくわからないうちに俺は、先輩のピンクの傘の中で、先輩と相合い傘になった。そしてしとしとと降る雨の夕暮れを映画館まで歩くことになった。

傘の中の肩がぶつからないように俺は少し距離をあけた。不意に先輩のその細い肩が頼りなく思えて、肩を抱きそうになって慌てた。
傘からはみ出してる俺の肩に優しい雨が降っていた。梅雨も悪くない…か。
そう思ったら言いたくなった。

「あの、俺がこれから観るの、『ローマの休日』なんですけど、もし…、もし良かったら先輩も一緒に観ませんか?」



お題「梅雨」

6/2/2024, 1:12:46 AM