今から丁度十年前、僕がまだ十六歳だった時の話。その頃の僕はまだ思春期で、膨張する自我と対話する日々であった。激変する人間関係や、ぼんやりと見えてきた将来に対する不安に眠れない夜を幾度も重ねた。そんなある日の夜、僕はとうとう寝床に収まって居られず家を飛び出た。漠然とした不安が何処からか襲いかかってきそうで、逃げるように歩いた先にあったのは海であった。
月を反射している広大な海面、さざめく波の音。暑い八月の海の淋しげな一面を見て僕は少なからずセンチメンタルを感じた。胸いっぱいに潮風を吸い込んでいた時、波の音に混ざって妙な音が聞こえた。耳を澄ますとそれは音というより、女性がさめざめ泣く声のようだった。少しばかりの恐怖と大きな好奇心を抱いた僕は、若者のご多分に漏れずその声の主を探した。
そこには彼女が居た。暗い海辺に座りながら、声を殺すように泣いていた。白いワンピースがよく似合う、黒髪の女の子であった。私は心配というよりも野次馬根性で、歳も対して離れていないであろうその子に声をかけた。
「ねぇ、どうかしたの?」
しかしその女の子は静かに泣くばかりで、何ら返答を寄越さなかった。その反応を想像していなかった訳では無いが、途端につまらなく感じて僕はその場を去ろうとした。
「行かないで……」
少し枯れた可愛らしい声が聞こえた。振り返ると、その女の子にシャツの裾を握られていた。
「近くにいて……」
それを聞いて僕はとにかく緊張してしまい、従うように女の子の横に座った。知らない人と二人きりでただでさえ混乱しているのに、あろうことか横に居た女の子は震えながら僕の手を握って来た。僕は心臓の高鳴りを抑えられず居心地が良いんだか悪いんだかわからない思いをした。
でも、すぐに邪な感情は消え去った。僕と手を繋いだ女の子は、堰き止められていた感情が一気に流れ出すように、声を荒げて泣き始めた。それは、本当にやるせのない思いが沸き立つ声だった。僕も冷静になり、そこからしばらく波の音を彼女と黙って聞き続けた。彼女が泣きつかれて眠ったのはそこから数十分程経った時だった。
翌日、どうやら僕も眠ってしまっていたようで、強烈な日差しに起こされるのは不快だった。昨夜の一事を思い出し周囲を探ったがどこにも彼女は居ない。何だったのかと思い、そこで足元に書き置きが残してあることに気づいた。それは、砂浜に指で掘られたであろう文字。
有難う
また会えたらいいね
結局それ以来彼女とは一度も会えていない。あの海岸にも何度か訪れたが、居るのは花火をしている集団くらいだった。
これは十年前の話。久しぶりに地元へ帰ってきて、思い出した一夏の不思議な青春。思い出参りに、僕はまた夜の海へ向かった。あの頃と変わらず波のが聞こえる。
すると、昔何処かで聞いたことのあるような可愛らしい声で……
「あれ?君って……」
8/23/2023, 1:09:33 PM