和正

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【最初から決まってた】

「タケヨシくん!」
まだ10メートルほど離れているのに、ついつい大きい声で呼んでしまった。駅のホームで立っていた彼が顔を上げる。会社にいた頃とは違ってカジュアルな雰囲気の服装で、レトロな丸いフレームの眼鏡をかけているその姿に、少しドキッとした。
「ナガツカ先輩、お久しぶりです。」
タケヨシは軽く頭を下げる。
「久しぶり〜。元気だった?」
タケヨシの肩をバシバシと叩きたいのをこらえながら、ナガツカマユミは自身の最高と思われる笑顔を彼に向けた。
「平日だから、OKもらえると思ってなかった。」
「火曜日は定休日にしてるんで、ちょうど良かったです。」
知っている。君が会社を辞めたあとどこでカフェを開いてるかも、定休日がいつなのかも。
「そっか。カフェ開いたんだったね。客入りはどう?」
「まぁ、まずまずですね。先輩の下でマーケの勉強したのが役に立ってますよ。」
相変わらずちょっと生意気な態度が可愛らしい。

「えーと、どこにしますか?今ちょっと調べてみたら、この辺に最近できたカジュアルフレンチがあるみたいですけど…。」
知っている。そこならタケヨシくんも行きたいと思ってくれるだろうと、わざと待ち合わせをここにしたのだ。なんなら予約もしている。
「あ、私もそこインスタで見て気になってたんだ〜。予約できるか聞いてみるね?」
電話をかけるフリをしながら少し離れていき、しばらく置いてまた戻る。駅の雑踏の中だから、フリをしている事には気づかないだろう。
「大丈夫だって!18:30にしてもらったから、今から行ってちょうどいい感じかな。」
「そうですね。行きましょうか。あ、カバン持ちますよ。」

(こういうところスマートだよなぁ…。)

一緒に働いている時からそうだった。タケヨシくんはどうやらちょっとナルシストっぽい所があるみたいで、カッコつけるためにやっている感じも否めないが、歳上アラサーのナガツカにもそういう親切を颯爽としてくれるのが、純粋に嬉しかった。

「予約しているナガツカです。」
ナガツカが先に店内に入り―もちろんタケヨシがドアを押さえておいてくれた―、店員に伝える。
「へぇ~、ほんとにフランスの田舎の家にありそうな内装だな。」
席に着くや否や、タケヨシくんが呟いた。
「なんかあったかくてリラックスできる感じだよね。」
タケヨシくんはカフェのオーナーとしての目線で店内の装飾が気になるらしい。二人であれこれ話してると、店員がメニューを持ってきた。
「こちらが料理のメニュー、こちらがワインリストです。」
料理の方は完全に無視して、ワインリストを開いた。料理はコースと決めていたので、ワインを選ぶほうが重要なのだ。ふとタケヨシくんの方を見ると、彼もワインリストを手に取っていた。彼の場合は、昔からあまり食に関心がなく、コーヒーやワインといった飲み物に強い関心があるのだ。
「へぇ、すごい…。僕は食前酒はこれで、ワインはこれとこれが気になるな…。あ、料理はどうします?コースがいいですか?」
「そうね、せっかくだからコースで。ワインはタケヨシくん詳しそうだから任せるわ。」
「分かりました。ナガツカ先輩辛口派でしたよね?」
その後はタケヨシくんが店員にコースで出る料理を聞きながら、ワインを選んでくれた。タケヨシくんには不思議と近所のおばさんみたいな雰囲気があって、店員とも打ち解けた感じで楽しそうに談笑している。そういえば、タケヨシくんが会社にいた頃、総務部の女の子たちが「かっこいいけどなんか話やすすぎて恋愛対象にならない」とか話してたな。

「タケヨシくんって女兄弟いるの?」
「姉と妹がいますよ。なんでですか?」
「やっぱりそうか。なんか近所のおばさん感があるというか。話しやすいって総務部の女の子たちも言ってたな、と思って。」
「近所のおばさんですか〜?それは嫌だな…。」

最後のデザートを食べ終わるまで、会話は途切れなくて、楽しい時間が過ぎていった。奢るつもりだったのに、押し切られてタケヨシくんに出させてしまった。

先に店を出て夜風に当たっていると、ワインの酔いも浮かれた気分も冷めていく。タケヨシくんが会社を辞めてしまって、接点が完全に無くなってしまう所だったのをなんとか今日、繋げられたのだ。このまま帰ってしまうわけにはいかない。

「じゃあ、行きますか。」
ドアを開ける音がして、タケヨシくんが出てくる。
「せっかくだし、バーで飲み直さない?そっちは私に奢らせて。」
これまた、自分史上最高の笑顔を作ったつもりだ。会社の上司や取引先に見せる笑顔とも違う、女の笑顔のつもり。
「えー。ナガツカ先輩、明日も仕事でしょ?大丈夫?俺も一応カフェ開くし…」
ワインのせいか、一人称が「僕」から「俺」になっていたり、敬語が抜けていたり。心を許してくれてる気がして少し嬉しい。
「大丈夫!私これくらいで酔わないし!」
つい、ゴリ押ししてしまった。タケヨシくんは断れないだろう。

だって、最初から決まってたんだから。今夜は終電を逃すって。

8/7/2023, 1:17:05 PM