NoName

Open App

 私がパンッと手を叩く。両手のひらの内で破裂した空気は、瞬間的に両手の内から飛び出し、空間にヒビを入れ、この場の雰囲気という極めて透明度の高い水晶を叩き割った。
「さあ、こちらを向いて」
 私の声が響くと、背を向けていた七人の生徒たちが振り返った。
「時間だが、居残りは」
 人数分の挙手。
「二時間だ」
 再び背を向け、キャンパスに筆を撫でつける彼らの様子を注意深く観察する。
 新雪をすくい上げ、徐々に圧力をかけていくように。この部屋に硬度と透明度が再び取り戻される。
 私はこの場所が好きだ。
 最初は文字通り、金持ちの道楽だった。余生幾ばくも残されていない代わりに私が持つ使い切れないほどの金。ただでさえ独り身の私の手には余るというのに、この瞬間もまだまだ増え続ける。
 せめて使い道くらいは自分で決めるため、寄付先を増やそうかと思っていたところ、知り合いからこんな話があった。
「なあ、お前もそろそろ後進を育てるってことをしたらどうだい。自分のやりたいことをやるだけやって、引退したらそれで終わりってのはずるいってもんだ。なに、金があればどう失敗したってなんでもないだろ。第一その歳だ、死ぬこと以外は些末なことだろ」
 自分より三十も年上の相手にそんな軽口を叩くとは相変わらずの度胸だとも思うが、それ以上に知っている。芸術家とはどこかズレていなければ死んでしまうのだ。
 そうして私はこのアトリエを建てた。様式や設備はもちろん日当たりや調度品に至るまですべて私の美的感覚を最低限満たすものだ。
 無論、生徒も。持論だが、十五になるまでに自身が執着するべき美に出会えなかった者は本物にはなれない。十五歳までで受賞経験のある子の絵を私自身の目で確かめ、招待した。結果、私の目にかかった子は九人で、そのうちニ人は家族ごと転居の面倒までみるというのに結局辞退となった。愚かだとは思うが、それ以上に惜しく思った。
 以上の経緯で完成したのが、このアトリエだ。
 名前はまだ無い。私が一番最初に認めた子を見て名付けようと思う。完成前から作品に名前を付けるのはナンセンスという、これまた持論だ。

遅刻してきた子=落ちこぼれ?
途中参加してきた子=生意気?
テスト→左回りの時計=皮肉?

3/27/2024, 7:38:33 PM