パッと弾けた絵の具が、服に飛び散る。
白くて、可愛くて。ちょっとお気に入りだったんだけどなあなんて苦笑いして見せる。
着いたのが嫌なくらい鮮やかな色たちだから文句も言えない。
「すみません。」
ちょっと恨みつついいんですと微笑う。
1年生、雛川愛梨。
天性のセンス、だと思っている。同じ美大でも彼女が圧倒的ということは2年生ながら知っている。
差し出された手は素晴らしく濁ってたけど、これもまた苦笑いしなくてはならないのである。
「弁償します。更科先輩」
「そんな。捨てようと思ってたし。ちょうど良かったな」
私は、2年生の天使、更科天音だから。
どうせこんなやつに弁償できないんだろ。目を細めながら立ち去る。
雛川愛梨がこの美大に来たのはまだ半年前のこと。
絵の具を飛び散らせる独特な描き方は誰もを虜にした。
少し。いやかなり悔しかった。真似しようと思っても5歳児の絵にしか見えなかった。
「ああ、もう!」
弾けた絵の具をトイレで洗う。
いつ来ても綺麗な美大近くのパーキングトイレは、青いあとがついた。外は雨だから、混みそうだな。
「…もうだめだあ」
ひひと笑って安いファッションセンターがあるビルに乗り込んだ。
まだ真っ白だったブラウスをゴミ箱を放り込んで息をついた。
雨が止みかけてきたのは救いだった。
あのブラウスを着て、きょうはある人に会おうと思っていた。
世間一般的に言う、元カレ。
彼との初デートのためにおろしたこの服に出番なんて無かった。
初めて万を超える額の買い物をしたのに。
初めてこんなにお金をかけてダイエットしたのに。
毎朝もやし生活はお金も余裕も無かったからだ。懐かしいとはにかみながら100円コーヒーを飲み干した。
まあ、いいや。
このひととき。終わってしまう前に、私が終わらせる前に、会いたかった。のうのうと女の子に囲まれている彼が許せなかった。
私を忘れないでほしかった。
ウソでも愛してると言ってほしかった。
そんなこと考えるうちに屋上に立っていた。まだポツポツと雨は降っている。もういいかな。
靴を脱ぐ。
「あの、先輩」
振り向くと、そこには憎い憎い雛川愛梨がいた。
布のかかったものを持っている。
「その、私、止めませんよ?だって、先輩の判断だと思うし…じゃあ、退いたほうがいいですかね?あ、でも先輩。ちゃんと考えてください。あのブラウスの少女の絵、くれるなら、止めますけど…」
ブラウス?なに描いたかも、忘れた。
そもそも私にとってブラウスとは、憧れそのものだった。
近所にお姫様の様な女の子がいて、友達になりたいと思ったこともある。
お父さんは買ってくれなかった。ゲームとかも。暇で曲がってたハンガーで遊んだ。不良品なのかなと思って。
なんかお母さんが、ばあちゃんのとこ行こうって引っ越したけど、今でも一度話してみたかったと思っている。
ちょっとお母さんが嫌いになった。
ばあちゃんはその日ファミレスに連れてってくれて、ワンコインくらいのお子様ランチを食べた。初めてこんな美味しいもの食べた。
お母さんは、これからこういうの毎日食べよと言った。
お母さんもよく安っぽいブラウスを着ていた。
似合わなかったけど。
幼少期の写真は今より全然細くなくて、顔色も綺麗で、ふくよかという言葉がピッタリなくらいの。
小さい頃のお母さんはブラウスがよく似合っていた。
お父さんもお母さんも妹もお兄ちゃんまでいて、大きな犬を飼っていて。
お母さんいなくなっても、
私は、
彼女の絵。
清々しいくらい美しくて、息を呑む。
5人家族の絵。私の憧れてた絵。
ブラウスに憧れてたんじゃなくて、ブラウス着て、ごく普通の愛情とそれなりの贅沢に憧れてたなんて、今更気づいて言えない。
少し泣く。
みっともない。
彼女が微笑う。
虹が屋上に反射する。
5/1/2023, 10:37:06 AM