イオリ

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はなればなれ

東都シンフォニーホールは、千秋楽の夜も満員御礼だった。

演目は『偽王』。権謀を蜘蛛の巣の如く編んでいき、政敵をことごとく搦め捕ってきた。ついたあだ名が毒蛇。その毒蛇と、はなればなれに生きてきた息子が、同じ選挙区の対抗馬として打って出る。父子、絆断つ戦い。

連日のホールの盛況の理由は、熟練の実力派が集結した、というだけでは無かった。毒蛇と息子。それを演じるのも、長年の不和が報じられていた本物の父と子であった。
まさに『偽王』のふたりそのもの、メディアが色めき立って報じた。


照明が舞台を静かに包む中、息子の仲間が、親子の争いを気遣う声をかけた。

「構うな。毒蛇は俺が討つ。討たせてくれ。……頼む」

愛憎を抑えた静かな語り口だが、声の一言一言が観客の心を力強く掴んでくる。


舞台袖の暗がりに立つ父。

稽古中には気づかなかった彼の演技の深さ。役者として、自然と目が奪われていた。

まだ出番があるというのに、涙が一筋、静かにこぼれた。

いいのか、ちゃんと話さなくて。

長年、共に舞台に立ってきた友人が、そっとハンカチを渡してきた。

ああ、ああ、いいんだ。いいんだよ、これで。

ハンカチで拭えば拭うほど、涙が溢れてくる。

見てみろよ、あれ。俺の息子だ。俺の息子なんだよ。凄いだろ?なっ。

ああ、凄い。血、だな。千両役者の。ずっと会ってなかったのに。お前の演技そっくりだ。

父は、うん、うん、とハンカチを目元に当てたまま頷いた。

さあそろそろ出番だ。もう泣きやめよ。毒蛇がそんな優しい顔でどうする。

そうだな。

最後に力を込めて涙を拭いた。目を閉じてひとつ、深呼吸。ゆっくりとまぶたが開かれるとそこには、皺に老獪さを刻んだ毒蛇が現れた。

気合い入れて行って来い。

ああ、行ってくる。

つわものの視線を携えた父が、慣れた照明の光に向かって歩き出した。


舞台上では、血戦に挑む息子の台詞が続いていた。全ての観客が、彼の決意を漏らすまいと、夢中で見入っていた。

「なあ、友よ。もし俺の目が愛で曇ったときは教えてくれ。目の前の相手は毒蛇。父ではない」

「その通りだ、小僧」

ホール中に、野太い豪声が響いた。唯一無二、他の誰にも真似できない、彼にしか出せない声。さっきまでの息子の決意のきらめきが、跡形も無く一気に消し飛んだ。

「私もお前など知らん。礼儀知らずのヒヨコが何を喚くか」

「何を言う」

息子の視線が毒蛇を射る。


素晴らしい。

止めどなく湧いてくるその思いを必死で抑えながら、毒蛇は罵声を続けた。

11/16/2024, 4:43:58 PM