クレハ

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「貝殻になりたい」
「なんて?」

何を言っているのかわからなかった。
よく考えても、やっぱり意味はわからない。

「貝になりたいーみたいな?」

漫画かなにかでそんな文言を見た気がする。
今貝殻になりたい彼女はついさっきカレシの浮気が発覚して、盛大にカレシも浮気相手も罵倒してきたところだ。
さもありなん。

放課後の教室は昼とはうってかわって静かで、夕焼けの熱が室内の温度を上げていく。
べったりと机に顔を伏せて唸っていた彼女はゆっくりと顔を起こし、教卓に背中を預けて文字を打っていた友人をむっと頬を膨らませて見上げる。

「貝になったって意味ないじゃん。貝殻になりたいの」
「どう違うのさ、それ」
「今日の日本史の授業を忘れてしまったのかね」

嘆かわしい、みたいな顔をして、身体をおこし、机の中から大事に使われてることがわかる擦り切れた日本史の資料集を取り出した。
パラパラめくって、平安時代の貴族の遊びのページを開く。

「貝合わせって言ってね。たくさんのハマグリの貝殻を並べて、対になる貝殻を見つける遊びなの。神経衰弱みたいなゲームだね。ハマグリみたいな二枚貝は対になる貝殻としか組み合わせることができないんだって」

貝殻の内側に描かれた綺麗な絵の写真。それをなぞりながら、彼女は小さく笑みを浮かべた。

「対になる貝殻はこの世に二つとなく、ぴったりとはまるの。夫婦和合の象徴として嫁入り道具にもなるのよ」
「嫁入り道具、ねえ」
「だから貝殻になりたいの」

たった一人。
決して違えない、私だけの対が欲しい。
寂しそうに呟いて、勢いよく資料集を閉じる。

「よし、帰ろうか」
「………ん」

立ち上がった姿を見て、通学カバンにスマートフォンを放り込む。
彼女とお揃いの、色違いのくまのストラップが揺れた。

(貝殻になりたいのは私の方だ)

私はいつも、彼女の隣にしか立てない。
バラバラに並べられた貝殻なら、彼女と試されることもあったのだろうか。


お題「貝殻」

9/6/2023, 8:18:18 AM