ぺんぎん

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あーああ、むかつく。イライラする。そんでムラムラする。鼻先を潜り抜けて、うんと苦く肺を擽るその息。ひといきに吐き出された煙が目を溶かしてしまいそうなの。あまいキスも、どろどろのセックスも、こいつとは比べ物になんねえの。

俺はいつも昼休みになれば、チャイムに急かされて、できるだけ人の湧かない煤けた屋上に駆け込む、なんてよくある青春の二番煎じをする。違うのは、こいつ。横でかぷかぷと、床と同じくらい煤けた息を、ニコチン、てやらを詰め込んだちっちゃい筒から吐き出している、こいつだけ。不良でもなんでもないのに、ひたすらに、取り憑かれたみたいに、ときおり噎せたりして、馬鹿みたいに肺を汚している。ほら、2本目。
「まだやめられねえのかよ、このヘビースモーカーが」
「うるせえ、っ」
指先でかさかさと、ボックスに詰められた筒を揺らす。ライターがキンッ、と春先の雷鳴みたいにぴりっとした音をたてる。先っぽでくゆる赤とも、橙とも、灰色ともとれる陽がじりじりと焦がれる。耳許のピアスも負けじと、きらきらと瞬く。

愛した人に、はじめて教えられたのは、煙草の味なんだって。腹立つ。

いま、この文脈からは読み取れんだろうが、俺はこいつがもうめちゃめちゃに好きだ。勿論、ラブの方で。
まあまあ馬鹿で、騙されやすくて、ヘタレで、そのくせして煙草の味はとっくに知ってて、それで勝手に満たされてて、吸ってるときだけ満足そうで、隙だらけのくせに俺が入れるような隙はない、そんなどうしようもない生意気さが好きだ。ずっと。
初恋がこれなもんだから、下手に恋煩わせた禍禍しい恋心は、色んな重さ、種類のクソデカ感情が綯い交ぜにされてクタクタに煮詰められた闇鍋みたいになっている。酸っぱくて、甘くて、ちょっぴりほろ苦い……なんて呑気な食レポが出来ないくらいには滅茶苦茶な味わいになっている。ああ、好き、好き、すき!

俺は煙草が嫌いだ。噎せて吸えないし。瞬く間にこいつが匂いに埋まるのが腹立たしくてたまらない。本当はサツなんかに告げ口してやりたい。未成年ヘビースモーカーいまーす、って。でも、止めない。俺は大嫌いな煙草で、こいつとの繋がりを保っているから。
慣れた手つきで火を押し当てて、苦い息を落とす、翳りを持った顔つきはいつにも増してえろい。んで俺はそれに興奮する。それで欲求を極限まで満たす。よくできた需要と供給。けど嫌い。みぞおちを踏み躙る、冷たい踵みたいな味が傍からする。匂いで感じとっているはずなのに、味。煙草ってやっぱり変な奴だ。

あー、嫌いだ。
くしゃくしゃになったアルミホイルが頭を過ぎった。口のどこかで服の毛がもぞもぞ蠢いてる、みたいなたしかな異物感。すぱすぱと、吐いては吸い、吐いては吸いを繰り返すクソBotの道具を取り上げてやる。
「ちょ」
軽い。こんなすかすかの奴に、こいつが翻弄されている。じくじくと膿みだし、腐食して、異臭を漂わせる恋慕。不味くなる闇鍋。
「ここも、ここも、ここも、匂いがする」
すん、すん、とよく利く鼻で犬みたいに嗅ぎ回る。シャツに溶け込んだ煙たい匂い。襟元、腹あたりのボタンにまで絡みつく。ああ、腹立つ。でも、気持ちいい。
嫌い、なんてそう言い切れやしないし、密度の軽い敵意は、ナイフどころか0.5のシャー芯にも満たない。
扇情と、苛立ちがせめぎあう。汗と、甘ったるい柔軟剤の匂いも、煙草に全部揉み消されている。
「やめろよお、」
ぐ、と頭を押さえつけられる。頼りない声に苛立ちが上書き保存されていく。指と指が重なる。
―――なあ。痕のひとつぐらい、つけてもいいだろ、そうだろ。
頭の片隅に降ってきた強欲なアイデアは、あっという間に俺を満たした。
口に咥える。先端からずっとちいさな煙を起こしている。開いたシャツのボタンから見えた、健康的な首筋。項。こらえきれず、押し当てる。じゅ、と肉の焼ける音。
「いゔっ」
痛みに呻き声をあげている。かわいそうと、かわいい。10秒もたたないうちにぱっと離すと、赤みがかった皮膚がとろんとしていた。
「なん、でだよ」
なんでだよって、そんなの、俺だって知らないんだ。
火を落とされて、困惑しつつ、焦れったく灰を落とすことすら出来ない3本目の煙草をくしゃ、と手の平で潰す。
痕ができた。幸福と、興奮をいちどに味わっている。アルミホイルが、ピン、と皺を伸ばす。こんなの、きっと煙草なんかじゃ得られない、そうだろ?
ズボンが熱で押し上げられている。べろ、とつけた痕を上書きするみたいに、舐める。ああ、すき。ぬるりとした舌に熱が触れ合って最高だ。
「っふ」
漸く絡みついた身体を離した。聴きなれたチャイム、ひとつ。予鈴。
「煙草の匂い消し、する時間なくなったなあ。あ、たってる」
そんで。たってる、こいつも。じわじわと迫る熱に浮き立っている。たぶん。
「うるせえ、お前もだろ」
やっぱり煙草は嫌い。こいつが侵食されんのも。でも、こいつは死ぬほど好き。涙目がかわいい。
「それ、抜くの」
軽くジェスチャーもつけたら、きも、とガチトーンで返された。どうやらこいつの脳みその中の完全侵食を止められたみたい。とっくに腐敗してる傷にぺたぺた絆創膏を貼られてる気分。あ、ケアリーヴで。
「そんなプレイまっぴらごめんだよ」
シロップ漬けの苦虫を食わされたみたいな顔つきで、トイレで適当にするしー、とほざいて階段を下ってった。
潰した灰が、指と指の間を滑る。傷がちらりと見えるたびに腹から熱がうじゃうじゃ湧いた。
まだ闇鍋はぐつぐつと煮え立っているが、一応形にはなりそうな感じだ。海鮮、豆乳チリトマト鍋、とか。いや、情報量。



11/29/2022, 3:38:11 PM