和正

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【蝶よ花よ】

カナコは蝶よ花よと甘やかされて育った。

両親は揃って晩婚で、歳を重ねてからカナコというひとり娘を授かったので、それも無理はない。

幼い頃から可愛らしかったカナコは、母に連れられてキッズモデルとなり、それ以降、「可愛い」だの「綺麗」だのとチヤホヤされる毎日だった。幸い、大学教授をしていた父の遺伝子も受け継ぎ、勉強もできる方だったので、学校では皆から憧れられ、いつでも注目の的だった。欲しいものはなんでも手に入ったし、多少のわがままも許された。

大学に入ってからもモデルの仕事は続けていたが、持って生まれた資質だけでは立ち行かないという事を思い知らされるようになった。可愛い子は掃いて捨てるほどいる。その中でも食事に気を遣い、欠かすことなく運動し、自分の長所短所を知り尽くした上で上手く個性をアピールする子だけが成功する。カナコなりに努力はしたものの、自分がトップクラスに食い込む程のものは持っていないということに、やがて気づいた。
モデル業を辞めて就職活動に専念するかどうか悩んでいる時に、自動車整備士の男性に出会い、恋に落ちた。彼はそれまでに出会ったどの男性とも違い、とても不器用で、一生懸命にカナコを愛してくれた。照れくさそうにしながらも毎日カナコの事を綺麗だと言い、真摯に向き合ってくれた。それで、モデルも就活も辞めて、彼と結婚した。
結婚する、と話した時、初めて親から反対された。すぐに結婚しなくても、どこかに就職して、しばらくしてから考えても良いんじゃないか、モデルの仕事だって、もう少し続けても良いんじゃないか、相手の男性の稼ぎだけで本当に生活できるのか、などと言われた。今思えば、彼との結婚に反対されたのではなく、カナコの行動が軽率に見えて、それを指摘されたのだろう。
カナコは反対を押し切って結婚した。二人の息子を授かり、贅沢はできないものの、幸せだった。夫は相変わらずカナコを溺愛していた。

息子が乳離れした頃、モデル時代の友人がアパレルブランドを立ち上げ、そのモデルをやらないかと誘われた。久しぶりに華々しい世界でまた働ける、とワクワクし、二つ返事でOKした。
そこで、あるカメラマンと出会ってしまった。あとはもう、どうにも説明がつかない。「惹かれ合ってしまった」としか言いようがない。彼はファッションやモデルの世界をよく知っていて、話が合った。カメラを通して彼から見つめられるたびに背筋がゾクゾクしたし、彼が撮ってくれる自分は今までで一番美しく見えた。若かった頃よりもだ。
しばらくして、彼の子を妊娠し、夫とは別れた。

家を出る最後の日、息子たちの寝顔を見た時は、さすがに胸が痛んだ。それでも、夫を裏切った自分が引き取るよりも、夫に託した方が良いだろう、と思った。夫は息子たちをとても愛してくれていたし、夫の実家も近いので、そう困ることはないだろう。夫に不満など何一つなかった。とても優しくて、良い人だった。自分に落ち度がある事は分かっていたが、自分の気持ちにも嘘は吐けないと、本気でそう思っていた。

今、40を過ぎてもなおそのスタイルを保っているカナコは、疲れた顔で深いため息をついた。両手には、栄養バランスを考えて作った料理をのせたお盆がある。子供部屋に向かう階段の前で、今一歩、足が進まない。
あれからカメラマンの彼と再婚し、息子一人、娘一人を授かった。今の夫が浮気をしていないなんて断言はできないが、なんとか結婚生活は続いている。生活レベルは随分と上がった。不自由なことはない。
娘が産まれた時は本当に嬉しかった。両親がしてくれた事を娘にもしてあげようと心に決めた。
13歳になった娘は今、心を固く閉ざし、もう何ヶ月も自分の部屋から出て来ない。

なぜだろう。あんなに、蝶よ花よとかわいがったのに――――。

8/9/2023, 6:22:05 AM