人と目を合わせられない私は、人と話す時はいつも顎か全体をぼんやり見て話している。
それでも、わりと目を見て話してる風には見えるらしく、接客業ではあるが目を見て話せてないことを指摘されたことはない。
だけど、ちゃんと目を見て話さないと困るデメリットもある。
顔が覚えられないのだ。顔と名前が一致しないうえ、そこで話したエピソードも誰がどの話をしたのかさえわからなくなる。
それはコンビニなどの一過性接客業とは違う、美容師や化粧品売り場のような近密接客業では致命的。
何回も会っているお客様でも名前も覚えられず、ましてや数カ月ぶりや外で会うと全く気づかないのだ。
それに関しては職場でも厳しく指摘されるし、自分でもお客様に申し訳ないと思っている。
でも、目を見れないのだ。なんとか顔をぼんやりみても顔を認識できないのだから覚えられるはずはないのだ。
このジレンマを治したいのに治らない。
目をみて顔を認識して会話することの難しさよ。
どうしたらいいかわからないが、簡単なことはわかってる。
ただ見ればいいだけ。
??
しかし、どうすればいいかわかってるのにわからない。
いや、わかってることに対してどう行動に移せばいいかがわからないのか。
でも実は、逆に目をみないで話す人の目は見れるのだ。
だから私には私のような目をみて話さない友達ばかりだ。別にみんな内向的ではない。内向的な人も外向的な人もいる。ただ見ない見れないタイプなだけ。
目を見ない人は会話が弾む。気も楽だし、まじまじと顔を見れるので認識できる。
そして、私が目を逸らすと向こうもチラチラみてるのがわかる。ずっとじゃない。一瞬だけ。それはそんなに不快じゃない。
やはり、類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
そんな人とは上手くやっていける。
それは仕事でもそう。目を見れない人と見れる人の割合は半々か見れない人の方が実は多いと感じている。
なので、接客業務でも見れない人とのコミュニケーションは案外捗る。
お互い様だからかな。とても楽だ。
きっと、目をしっかり合わせて話せる人には、理解し難い話だろう。
それでも、これこそが私のすれ違う視線の生き方だ。
ずっとこうして生きてきた。
困ることもあるけど、落としどころもある。
合わない視線こそ理解し合える、そんな生き方もいいでょう。
5/4/2025, 12:56:11 PM