Seaside cafe with cloudy sky

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【さよならを言う前に】

◀◀【鏡】からの続きです◀◀

―― 59、60……約一分経過。そろそろ声を掛けてもいい頃だろう……ハグされたまま心の中でカウントしていたアランは、撫でていたひよこ頭から手を下ろしてエルンストの背を叩いた。
「エルンスト、あのときも僕たち、こんな風にハグまでしたっけ?」
からかい気味に耳もとで言うと相手は微かに身じろぎ、夢から目覚めたような風情できょとんと首を巡らせた。そして。
「……え、…… ―― わあっ!!」
間近で見たアランに驚き、次いでそのアランをガッシリと己の腕の中に収めていたという事実にも仰天して、飛び退くように身体を離すとアランへ平謝りに謝った。今度は首まで真っ赤っかにして。
「すみません、アラン……じゃなかった、ジュノーさん、その、あまりにも嬉しかったので、つい……気づいたら……本当に、失礼しました!ごめんなさい!!」
まるでドッキリ番組で色仕掛けのイタズラに見事嵌められた、可哀想な犠牲者のようなコミカルなリアクション。途中まで堪えていたが、ついにアランは肩を震わせて忍び笑いを盛大に漏らしてしまった。
「フフ……アランで構わないよ、エルンスト……アハハハ!……君ってまったく!」
素直で、邪気がなくて、一生懸命で ―― 見てて飽きない、憎めない子だ、まったく。まいったね ――
笑いすぎて座ったまま上半身をロビーチェアに倒れ込ませ、なかなか治まらない発作をやり過ごす。涙まで浮かべてた ―― 拭おうとして掛けていた眼鏡を外すと、今まで目をパチクリさせて笑い転げるアランをどうしたものかと、おとなしく見守っていたエルンストだったが、おずおずと覗き込んできてこう言った。
「あの……オリエンテーションでは眼鏡じゃなかったですよね。だから初めはあなただと気づかなかったんです。……その、髪型も…………なんというか、今よりもすっきりと整えていらっしゃったし……さらにスーツ姿で、まさにエリート然としたあなたしか記憶になかったので……」
鎮まりかけていた笑いがまた込み上げてきた。
「エルンスト ―― 君の奥ゆかしい皮肉、気に入ったよ。ハハハハッ!」
「 ―――― 失言でした!すみません!」
本気ですまなそうに謝るエルンストがまたまたツボに入って止まらない。いい加減苦しくなってきた ……ああけれど、こんなに気持ちよく笑ったのは久しぶりだなあ ――
栗色のボサボサ髪を掻き上げてひとしきり笑ったアランだったが、徐々に落ち着きを取り戻すとはたと本来の目的を思い出し、つかの間フリーズしてポツリとつぶやいた。
「そうだ、僕は旅をしていて……ランチを取りに行こうとしていた最中だったんだ……」
それなのにどうして僕はいま、空きっ腹のまま病院の一画で、一人大いに抱腹絶倒しているんだろう?それも、奇しくも再会したエルンスト・ヴィルケのおかげでだ。―― きっと素敵な旅になる ―― この予感どおり、素敵で不思議な旅がはじまりつつあるんだろうか ―― ?

さよならを言う前に、もう少し彼と過ごしていたいかな ―― 一抹の物寂しさを覚えてふとそんなことを考えていると、エルンストがひょいと、ふたたびアランを覗き込んで申し出てきた。
「昼食、まだだったんですね。僕もです。ご馳走しますから一緒に食べに行きましょう!いいところを知ってます!」

▶▶またどこかのお題へ続く予定です▶▶

8/20/2024, 5:02:21 PM