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貝殻はわたしの耳だ、といった要旨の詩が教科書に載っていたことを思い出す。ググれば出てくるがそれはおいておいて、詩というのは易しい言葉でも高尚なものであったりするし、奇をてらわず素直に表現することもあるので、それがいったい小学校の頃の教科書だったのか、中学生の頃の教科書だったのか、はたまた高校生の頃の教科書だったのか、記憶が曖昧な上に推察も難しい。わたしが受けたその詩の印象は、なんだかいやに女々しいものに感じた。たかが耳を、誰にでも付いている耳を、さも真珠を抱いたアコヤ貝か、はたまた岩牡蠣か。とにかく馴染みある浅利や蜆ではないイメージで、この人は自分の耳を貝殻に寄せた。貝殻に耳を実際に寄せる仕草はよくあることで、波の音が聞こえてくるといった美しい現象が起こる。こんなにも分量多く書いたのであるが、きっと彼女の詩の方がよっぽど短く読みやすく想像の幅を持たせた言葉の羅列であることは大いに認めたいと思う。国語の教科書というのは本当にすばらしいものである。大人になっても趣味や教養として小中学校レベルの教科書と授業を受けたいものである。

9/5/2024, 3:36:37 PM