狼星

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テーマ:愛情 #15

「泣くなよ、秋菜」
僕は泣く秋菜の背中をさする。秋菜は僕の妻だ。
「うっ、うっ」
そう言って嗚咽を必死に堪えようとしている秋菜。
ごめんよ、秋菜が泣きたい気持ちだって分かるんだ。
僕たちが先立ってしまったという後悔からの涙だからだ。
僕たちには二人の子供がいた。しかし、子どもたちをおいて死んでしまった。
それは突然のことで、僕も秋菜も気がついたら死んでいた、という感じだ。
神様は僕たちに時間を与えてくれた。でも、制限がある。ずっとここにいる訳にはいかない。
僕たちは今、その子どもたちの前にいる。
もちろん、あちら側からは僕たちの姿は見えていない。
「ごめんね…。ごめんねぇ…」
秋菜はそう言って、息子に近づくが気がつく気配はない。
「ワフ」
唯一僕たちの存在に気がついているものがいた。それは愛犬のハクだ。
ハクはまっすぐに僕たちを見ていた。
「ハク? どうした」
そういったのは、息子だ。
ハクは生きている。だから、子どもたちにも見えている。動物とは不思議なものだ。生きているものも死んでしまっているものも見えるらしい。
息子は、ハクの頭をワシャワシャと撫でた。
「悟」
僕は届くはずのない声で息子の名前を呼ぶ。秋菜は泣いていた。僕だって泣きたい。でもカッコ悪いところは見せたくない。そう思った。
「なんだ? お腹すいたのか?」
そう言ってハクを撫で続ける悟はスーツ姿だ。
僕たちが知っている悟じゃないみたいだった。僕らが知っている悟はもっと小さくて…。
子供の成長とは早いものだということを思った。

もう一人の子供、凛子は自分の部屋にいた。
生きていた頃に入っていたら確実に怒られていた。でも今は、彼女には僕たちの姿は見えていない。
凛子は高校生になった。もうすぐ受験が控えている彼女は勉強をしていた。
「凛子は、努力家だからな…」
僕が言うと秋菜も頷く。
「そして、繊細」
彼女は付け足す。凛子のことを秋菜は僕よりもよく知っていた。よく意見がぶつかり合うこともあったが、それほど仲が良かったということだろう。
シャープペンの音。教科書、ノートをめくるときの髪がこすれる音。
静かな部屋の中は電気がついていて明るいはずなのに、暗く思えた。

「「いただきます」」
数分後、凛子は部屋から出てリビングへ降りていた。悟の姿もある。なんとも言えない空気が流れている。
僕たちがいた前までは、会話がたえなかった食卓も、静かなものだった。
「ワフ」
そこにハクが歩いてくる。そして私達の隣に座る。
「ハク。僕たちのことが見えるのかい?」
僕はそう聞くと
「ワフ」
そう返事をした。秋菜は片手で止まらぬ涙を拭い、もう片方の手でハクを撫でる。ハクには触ることができるらしい。
「ハクもごめんねぇ…。もっと一緒にいられれば…」
そう言うとまた、秋菜の目に涙が浮かぶ。それをペロペロと舐めるハク。
「ハク? 何やってるんだ?」
その行為を見ていた悟がハクに話しかけた。僕たちのことが見えていない彼らにはハクが何もない空間を舐めているようにしか見えないだろう。
「ワフ、ワフ」
ハクは一生懸命伝えようとしてくれてはいるが、きっと彼らにはわからないと思っていた。

僕たちはそこを去ろうとした。ここだけにとどまっていては、秋菜がずっと泣いたままだと思ったからだ。
「母、さん? 父さ、ん?」
悟が不意にそういった。何を思っての言葉かはわからない。その悟が言った言葉に反応した凛子。
「兄ちゃん?」
「なんでだろう。今、ここにいる気がするんだ」
急にあたりを見回し始めた悟。悟は小さい頃からそういうことを感じ取る能力的なものがあった。
生きていた頃は信じられなかったが、本当にわかるのだろうか。
「悟、ここよ!」
秋菜は悟に向かって言っていた。
「母さん! 母さんの声が聞こえる!」
凛子はその場で立ち上がる。その目は僕たちを捉えていた。
「兄ちゃん。そこにお母さんとお父さんが……」
凛子には僕たちの姿が見えているらしい。こんな奇跡あり得るのだろうか。
「え? どこ?」
僕は二人の名前を呼ぶ。
「悟、凛子」
「父さん、聞こえるよ」
反応したのは悟だった。凛子には声は聞こえておらず姿は見えている。悟には姿は見えず声が聞こえるらしい。
「なにか、言っているの?」
凛子はキョトンとしている。近くに来ている凛子には、やはり声は聞こえていない。
「うん、僕たちを呼んでる」
悟は凛子に答える。
「ごめんね…二人とも」
秋菜は泣きながら彼らの頬に触れようとする。その手は虚しくも彼らを通り抜けてしまう。
「大丈夫だよ、母さん。僕たちは僕たちで頑張るから」
悟の頼もしい言葉に鼻がツンとなる。
「父さんたちは長くはいられない。でもな、またいつか会いに来るからな」
僕が言うと、凛子が涙ながらに頷いていた。
神様が遠くで僕たちを呼んでいた。もう行かなくてはいけない。本当は離れたくない。ずっと彼らと一緒にいたい。でも、それはもう敵わない。
だから最後にこれだけ、
「父さんはお前たちを愛している。遠くに離れていても、ずっと家族だ」
「えぇ、そうよ。私達はあなた達のことずっと見守っている。愛しているわ」
それら以降、彼らには姿、声が聞こえなくなっていた。

最後のチャンスをくれたのかもしれない。
神様がくれた最後のチャンス。
僕たちが生前、あげられなかった『最後の愛情』を言う奇跡の時間を。


※この作品は#14の続編です。

11/27/2022, 1:48:11 PM