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母はネガティブな人だった。その血筋か影響か、私も現実主義なところがあり、あまり恋愛に運命だとか赤い糸だとかを感じることはない。
しかしながら、今の夫にも、そして我々を見ていたとある女性からも、「運命だ」といわれたことはあり、私はそれをただの腐れ縁と思いつつも、そんなものもあるのかなと思っている。
なんでも「赤い糸」の起源は中国とあり、やはり日本はかなり何だかんだで隣国の影響を受けているなと思う。私にとっての赤い糸はいわばラーメンのような存在である。漢字でも良い。輸入された考えや文化を品種改良している点は赤い糸やラーメンに限らないはずだ。それに、赤い糸、ラーメンと聞いて嫌な気のする日本人は少ないだろう。素敵なもの、美味しいものだ。もはや漢字に至っては日本語になくてはならない存在だ。
その「赤い糸」よりも感性にしっくり来るのは、どちらかというと中島みゆきの「糸」である。赤とか色ではなく、縦と横の糸でそれぞれの人間の出会いと相性、縁を表現し、「織りなす布はいつか誰かを暖めうるかもしれない」、そして「逢うべき人に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」と締めくくる。さすが名曲である。しかもこの曲も一切糸の色は問うていないから、同じような気持ちで作曲してくださったのかもしれない。そのうえ糸を布にまで発展させていて、天才としか言いようがない。
たしかに今の生活は、赤くはないがなんとか仕合わせられてはいる。
糸単体の人たちも多い世の中であるが、不格好でも誰かと布となり、人を暖めうることがある人生こそまあ良いのかなと思う。

6/30/2024, 3:38:09 PM