見慣れた顔を見慣れた時間に見る。鏡が無ければ自分を見る度に驚いたのだろうか。絶望したのか、感動で涙がこぼれ落ちるか、不変なのか、新しい欲が生まれるのか、嫌うのか。自分を毎日見ることによって自分は当たり前になっていき変化がなければ見ていないと同意義の速度でそこを通過する。でもそれは自分を気にするほどの悩みやコンプレックスが無いからとも捉えられてある意味幸せなことであるのかもしれない。ならば、見つめすぎてもいけないのか。でも自宅の鏡では自分が綺麗に見える現象はなんなのだろうか。家という安心できるなれた場所で何気なく素で自分を写しているからだろうか。人からの評価でしか結局分からない。自分では見慣れすぎて客観的に見るのが難しい。でも地下鉄のエレベーターにある鏡を見て僕は、異性に声を掛けられてもおかしくないと思うんだけどなと思い、改札をピッ!と言わせ6両が来るのを待つ。
鏡
8/18/2024, 6:04:57 PM