Seaside cafe with cloudy sky

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【向かい合わせ】

◀◀【鳥のように】からの続きです◀◀

病院のあった街から離れ、ふたたび田舎道に入って車は進む。地元で周辺の地理を把握しているエルンストに運転してもらい、隣の助手席でアランはゆったりと窓の外の景色を堪能していた。進むにつれ、畑や野原だけだったまわりの景色にポツンポツンと建屋があらわれだす。のどかな田舎のちょっとした工場地域に入ったようだ。店舗や民家もあって、単調な景色から彩りが増してきた光景を見るとはなしに見ていると。
「 ―― おや、これはこれは……お招きいただきありがとう、と言ったところかな?」
イダ・スティール・プロダクツ ―― エルンストの名刺と同じ企業名のパラペット看板に気づいたアランが、楽しげな眼差しでエルンストに問いかける。車を減速させながらエルンストは横顔で笑った。
「あなたの時間が許せば、後でぜひ見学していって下さい。けれどその前に、お約束どおり昼食にしましょう」
そう言って隣に立つトラットリアのような店の敷地に入り、そこの駐車場で停車した。
お待たせしました、ここです。エルンストに促されてシートベルトを外し、車外へ出たアランは伸びをしながら深呼吸して春先の肌寒い空気を思いっきり吸い込んだ。店から漂う美味しそうな香りとともに。
「うーん。君がおすすめするお店だけあるね。この香りだけでワインが進みそうだ」
うっとりした笑みを浮かべるアランを微笑ましく思いながら、エルンストが先導して店内へと足を踏み入れた。ドアベルがにぎやかに二人の来店を告げる。他に客はだれもいなかった。
「あら、エルじゃない。今日はどうしたの、こんな遅く……に……」
エルことエルンストに声を掛けつつ奥からエプロン姿の女性が出てきた。語尾がかすれたのは一緒にいるアランを目にしたからだろう、目を見開いてまじまじと見つめている。いや、どうも見惚れているようだ。小さく息を呑む声が微かに聞こえた。やはり女性は敏感に気づくんだな、なりが少々残念な状態でも、超イケメンな彼の正体が。そういえば病院でも時々女性看護師が振り向いて彼を見ていたっけ……端で興味深く様子を覗っていたエルンストだったが、すぐに気を取り直して伯母さん、と呼び掛けた。
「彼を紹介します、アラン・ジュノーさん。僕の大恩人。今日出先でトラブルがあって、偶然出くわしたジュノーさんに助けて頂いたんだ。二人とも昼食が遅くなって、せめてもの恩返しに伯母さんのスペシャルランチをご馳走しようと思って来たんだけど。お願いできるかな?」
簡潔で無駄のないエルンストの紹介口上を感心した面持ちで聞き終えたアランは、口ではなくウインクで「ブラボー!」と伝え、それからエプロンの女性へにこやかに右手を差し出した。
「はじめまして。よろしくマダム、アランとお呼び下さい……」
女性はなかば心此処にあらずといった風情でアランに見惚れたまま握手に応じて話を聞いていたが、ふとなにかに気づいてまばたきを繰り返し、アランを見据えて話をさえぎるように突然口を開いた。
「 ―― アラン……?……アラン・ジュノー……!? ―― ああ、あなたがあのアラン!?―― まあまあまあまあまあ、まさか、お会いできるなんて!光栄です、エルの伯母です、こちらこそよろしく!」
なんとも意味深な口調での激しい歓迎の辞だった。さらにはアランとエルンストを何度も見返し、訳知り顔で不敵な笑みをエルンストへと向けてくる。そんな伯母の面妖で不気味な態度に居た堪れなくなったのかエルンストは、
「 ―― ああー、それじゃあ伯母さん、僕たち空腹で倒れそうだから、なるべく早くよろしくね!」
それだけ言い残してアランの肩に手を掛け、テラスの見える大きな窓際の席へといざない、そそくさとその場を後にしたのだった。挙動不審な二人のやりとりに些か強引な切り上げ、アランは狐につままれた感でおとなしくエルンストに従って行くが、
「彼女にオーダーしなくても良かったのかい?それに……」
僕は彼女の紹介をちゃんと受けていないんだけれど……とその他の不平も滲ませたつもりでさりげなく言葉尻を濁し言外に訴えた。しかしエルンストは気づかないふりで、
「スペシャルランチこそオーダーで、なにもかも伯母さんのお任せによる逸品料理なんです。大丈夫、きっと気に入りますよ」
先ほどアランが見せたウインクを真似て答えて見せる。するとアランにはウケたらしい、上機嫌に笑って席に着き、
「頼もしいかぎりだ、エルンスト。あとのお楽しみということだね」
なにかを察してくれたのだろう。「上手く誤魔化されてあげるよ」とメッセージを込めた、先ほど以上にエレガントなウインクを向かい合わせに座ったエルンストへ送り、それ以上なにも窺うようなことはせず窓外の景色へと目を転じた。
「わあ、川辺なんだね。いい眺めだ」
テーブルに両手を組んで頬杖をつき、何事もなかったように感嘆するアラン。さすがゴールドカラー、気を利かせるのも心得たものだとエルンストはホッと心中で胸を撫で下ろし、寛大な彼と同じ景色へ目を向けた。そこには春先の淡い午後の光が水面とたゆたうようにキラキラと踊っていた。

▶▶またどこかのお題へ続く予定です▶▶

8/25/2024, 7:42:56 PM