〈声が枯れるまで〉
幼い頃、保育園の先生から聞かれた「春菜ちゃんは将来、何になりたい?」
記憶が正しければ、私は女優になりたいと言った。
よくある、子供らしい答えだと思う。
なぜそんな昔のことを思い出したのかと言うと、丁度今の時期が将来の選択肢が目の前に用意され、選べと言われてるからだ。
今では安定した仕事や両親が喜ぶ選択肢を選ぶことになる。
自分で言うのは小っ恥ずかしいが、私は成績はほぼ4か5を取っていて、バレー部でもリベロとしてそこそこの成績を出してきた。チーム内では、チビとイジられるが仲は良く、特に不満もない。
内申書に書けるように地域のボランティア活動にも参加したし、介護施設のボランティアもした。
このままだと、指定校推薦や総合型選抜で名の知れた大学に合格できると担任との面談で言われた。
でも、何かがちがう。
成績でほぼオール5を取っても、入試対策で褒められても、違和感を感じていた。
まるで小さい魚の骨が喉に突っかかっている状態。
やりたいことなんて、考えたことすらなかった。
常に自分より他人を優先し、これまでの人生での選択は世間体や親戚の目や両親からの期待で決めてきた。
自分で考えたこともなかった。
「春菜、帰ろう」
いつの間にか放課後になって、いつもの友人と学校を出る。同じクラスで席が近いことから、距離が縮まった。
彼女は美大を目指しているらしい。幼い頃、彼女の祖母が持っていた日本画集を読んだことがきっかけで、彼女も日本画家を目指すようになった。
彼女は私のことを羨ましく思うと言っていた。
でも同じように、私は彼女のことを羨ましく思っている。
自分の好きなことを明確化、言語化できて、挑戦する姿はかっこいいと思う。
私にはそんな勇気はない。安定で安心したルートじゃないと、不安で仕方がない。
電車で彼女が先に最寄り駅で降りたことをきっかけに、ひとりになった。
人が急に増えたので別の車両に乗り換え、席に着いた。
リュックを膝の上に下ろし、無線イヤフォンを付けようとした時、ふと目の前から視線が感じた。
何気なく見てみると、中学生くらいの女の子がスマホのメモアプリを見せている。私は勝手に読んで良いのか分からなかったが、隣の中年女性は気付いていなかったため、代わりに読んでやろうと軽い気持ちで目を向けた。
「痴漢されてます 助けて」
私はその文字を目に焼き付け、女の子とアイコンタクトを取った。今にも泣きそうな女の子に私は手を伸ばし、自分の席に座るように促した。すると、後ろで女の子に手を出してたであろう中年男性がびっくりした顔で私を見た。
「ねぇ、この人で合ってる?」
私は女の子にそう聞いた。女の子は泣きながらこくこくと頷いた。
男もこれからの仕打ちを理解したのか、鞄を抱え、別の車両に行こうとした。
「待てやごらぁ!!」
自分の声とは思えないほど、ドスの効いた声で男の腕をつかんだ。まるで福岡の警察官が、暴力団の家宅捜索に入る時のような、決して可愛くない声で静止させた。
周りの乗客のことなんてどうでも良い。
女の子を一生のトラウマを植え付けさせた罪は、司法では罪は軽いが、私にとっては終身刑に値する。
次の駅で女の子と男を駅員に引き渡し、事情聴取で私も呼ばれた。
帰り際に、女の子からお礼をしたいからと連絡先を交換した。
誰もいない家に着き、私は自室で泣き叫んだ。
あの子を助けることができたのは、あの男を見逃さなかったのは、全部私のトラウマのおかげなんだと思い知らされた。
私は、小学生の頃、遠方に住む叔母に会うためひとりで新幹線に乗った。大阪に住む叔母に会うまでの2時間、私は隣の乗客から、太腿や腕、を触られた経験がある。当時はそれが好意があると思って触られてると思い、新幹線のホームで叔母に会った際、意気揚々と話した。
しかし、それはセクハラ、特に小学生女児を狙ったものであると知っている叔母は、急いで私の母に連絡し、医療機関に受診するよう電話をした。
帰りは叔母もチケットを購入し、私の隣の席に座った。
家に帰ると、母は「ひとりで行かせてごめんね、怖かったね」と泣きながら私を抱きしめ、父は同じ男として許せないと憤慨していた。
その後カウンセリングや治療の甲斐もあって、克服することができた。
しかし、皮肉なことに今回は私の経験があったからこそできたことだと思う。
経験していなかったらあの子の文字を無視をしていたと思うし、何もできずに後悔していたと思う。
そう考えるとあの頃の記憶が蘇り、触られた感触や隣の乗客の鼻息まで思い出してしまい、パニックになった。
私は部屋中のものを、視界に入るもの全てを投げた。
奇声を上げながら、泣き叫んだ。
私の声が枯れるまで、私はSOSを出した。
10/21/2024, 3:00:14 PM