おてぃる

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『無色な世界』


子供の頃は、雨粒を閉じ込めてみたいと思っていた。
小瓶にそれをかき集めようと、手のひらいっぱいを満たすほどに受け止めてみたとしても、それは大きな括りで「水」でしかないということにすら気づかずに、無垢だった私は空から降ってくるというだけで、さながら天からの贈り物なんじゃないかと錯覚するほどにそれを特別なものだと思い込んでいた。

「何をしているんですか」
「雨を、見ていたんです」

例えば大きなボウルいっぱいに雨粒を溜めてみたとして、そこにどぼんと顔を沈めてみたとして、目に映るものはただ透明なだけの世界なんだろうか。色の無い、無色透明なだけの世界なんだろうか。
酒の味も世辞の意味すら知らぬ、ひたすらに無垢だったあの頃の私には、違う世界が見えていたんだろうか。もう見えなくなった鮮やかさを、あの頃の私は見つけられていたのだろうか。

「私、旅をしているんです。なんだか色々疲れちゃって」
「そういう時ってありますよね。僕にもありますよ」
「色が見えなくなってしまったんです。幼い頃はあれだけ鮮やかに見えた世界が、今は灰色にしか見えないんです」
「そうなんですか。では山なんてどうでしょう。眼下に覗く自然に飲まれて、灰色は見えなくなるんですよ。ちょうどあの山の話です。ほら、あの辺りの」

指差された先に小さな頂が見えた。あんな小さな山でも、世界の色を塗り替えられるんだろうか。

「ありがとうございます。行ってみます」
「良い旅ができるといいですね」

ぽつぽつと雨は存在感を無くしていく。私があの山に着く頃には、きっとすっかり止むだろう。そして頂に立った時、何よりも鮮やかな七色が私の視界を捉えるのだ。

「ええ。良い旅が、できそうです」

水は透き通る。
その先にある色を映して。

いつかまた、あの頃のように空を見上げられるような気がして、私は小降りになった雨の中、傘も持たずに外へ出た。

4/18/2024, 12:35:56 PM