いわゆる普通に人生を送ってきた人からすれば、私は逃げてきた人となる。中退も経験したし、体は傷つけなかったが、薬を多く飲むなんてのも経験した。それでも、生きてはいる。底辺でしか生きられないが、なかなか死なない。中退して無職の日々は金はなかったが、趣味の小説のようなものを考えて書くのが楽しかった。あの頃から文章にする、という行為が自分にとっては必要なのだと知った。誰かに見せる気はないし、此処で書いてるのも別に見せたいのではなく、何となく文章にする行為を続けたかったからだ。あの頃の文章を考えている時間は、確かに自分の人生の中では岐路だったのかもしれない。
私は埴谷雄高氏を尊敬している。半世紀以上も同じ題材の小説を書き続けられる幸福と孤独と苦しみを埴谷氏は抱き続けたまま、亡くなられた。「小説が完結しなければ、幽霊となって誰かに乗り移ってでも書く」とまで言わせるその情熱と執念。私にもそんな情熱と執念が欲しい。もし、それらを少しでも手に入れられたならば、またそれは人生の中の岐路になるのかもしれない。
6/8/2023, 11:43:54 AM